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「当事者と非当事者」の分断はどこまで行っても消えないのかもしれない。しかし、それは単純な分断を意味するのだろうか。
1人の人間の中には複数の当事者性と非当事者性が、それぞれの中心点を持った円が重なるように存在している。ある出来事においては当事者であり、他のある出来事においては非当事者でもある(部分的に重なり合うこともある)。円の周縁が描く線は重なり合いながら、その人の中に複雑な線を描いている。分断されること自体ではなく、分断により関係性が単純化されていく、そのことが問題なのではないか。
私は分断線を単純な直線と捉えず、波打ち際で生まれる波線のように、時間とともに変成を繰り返すものとして考えている。偶然性の中で形を変えていく波線とその複雑な重なり合い。変化し続ける海と陸の境界線。それを引き受けていくこと。そのためには偶然性へと身を開かなければいけない。自然災害という途方もない偶然性に見舞われ、防波堤という境界線を作り続けているこの地で、それでもなお波打ち際へと近づき偶然性へこの身を開くとはできるのか。分断線によって単純化されるのではなく、いくつもの分断線を引き受けた複雑な状態を保ち続けるために。
2021.04 鹿野颯斗
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「偶然の波打ち際」
境界線を
偶然と必然
そう言い換える
狭間
曖昧な現在地で
宙吊りの身体
波打ち際
砂地に足裏をのせる
海水の冷たさ
陸と海の中間
なにものでもなく
いくつもの集合体
それを受け入れる
高台と
島のあいだの往復
近づくことを
離れることを
繰り返し
暫定的に
船の形を変えていく
水平線は
消えることなく
繰り返される
指先から
血液を伝い
波打つ心臓
内側の触覚
マイナスの距離
困惑して
佇む姿を
眺めている
想像の外側
深さで
覆われた
環状島の内側で
腰を下ろし
吹き抜ける風が
上昇する
流れ続けていた雲が
知っていることを
読み取るための空白
ここから先は立ち入れないと
すれ違う誰かが言っていた
その響きが
充満する
霧
遠くから運ばれた匂いが
脳と触れ合い
葉が光をあびて
風ではためく
光景を
100年後
地中から
掘り起こす
手についた
土から漂う
時の香りを
手繰り寄せ
誰かのためにではなく
自らのためにでもなく
なにも捧げない
その気持ちを
保ち続ける