2021.11.03

晴れ

 キワマリ荘に隣接している平屋をレジデンス施設として使うために掃除をした。かなりきれいになったと思う。午後は仙台メディアテークで今日から始まった「ナラティブの修復」をちばさん、志村さんと見てきた。会場には是恒さんがいて久々に話した。

2021.11.02

晴れ

 昨日の続き。欲望を生むためには信じることが必要。信じることは裏切りと表裏一体なので、信じれば裏切られる可能性が生まれる。裏切られないことに賭けることでしか信じることはできない。裏切られるかもしれないが信じるという賭け。そこにベットするためには諦めが必要になる。取り返しのつかない状況とは、どちらに転ぶか分からないものに賭けることであり、それは偶然に任せることでもある。偶然性に身を置きながら信じ続けることでしか欲望は生まれない。

2021.11.01

晴れ

 取り返しのつかなさと諦めが欲望を生んでいくんだろうと最近何となく思う。作品を作ることも、それを発表することも後戻りすることができない、取り返しのつかない状況を生む。その状況への諦め、もう取り返しがつかないのだから引き受けるしかないという諦めの気持ちが次の欲望を生んでいく。逆に言えば何かへの執着は新たな欲望を生まないのかもしれない。何をしていいかわからない状況は取り返しのつかなさを恐れているか、何かを諦めきれていない事から生まれるのだろう。諦めの気持ちと風通しの良さ。今日TUTAYAでレイモンドカーヴァーの「愛について語るときに我々の語ること」を買った。

2021.10.28

晴れ

 食器を洗って部屋を掃除して洗濯物を干した。アパートの構造のせいなのか外の階段に埃がたまりやすいので、久々に掃除をした。特に掃除をしたこと以外に何も書くことがないなと思いながらも一日が終わった。

2021.10.27

晴れ

 ドトールに行って軽く作業をしていた。ライティングの哲学を読み終わった。いかに諦めるのかについての本だった。出来事、アクシデント、偶有性。偶然性の不安。それはもはや勇気の問題。出来事を起こせば偶然の波が襲ってくる。偶然の波打ち際に立つ。偶然起こりうる出来事の不安に耐える。確定していない、答えの出ていたないものを確定させず、答えを出さないままにしておくこと。

2021.10.22

晴れ

 先週あたりから急激に寒くなってアウターなしではいられなくなった。朝起きる時も肌寒い。布団から出るのが少し億劫になる。灯油を買ってきてストーブを付け始めた。猫はストーブの近くで寝ている。今日は打ち合わせが2件あった。今月はなんだか自分にしては珍しく忙しい。たまっている編集の作業やもろもろを終わらせてゆっくり本でも読みたい。

2021.09.26

晴れ  

 企画展が最終日だった。お客さんは途切れずに来ていた。あっという間に終わった。自分がこの場所をどんな場所にしたいのかという思考を推し進める機会になった。来年の春もなにか企画展をできたらいいと思っていいる。ただ、どういったものになるのかはまだ全然イメージできていない。

2021.09.25

晴れ 

 撮影の仕事が何件か入っていて疲れた。夜は平野君、はるひ、ミシオ君でラジオをした。企画展は明日で最終日。

2021.09.24

晴れ

 宮城県庁へ撮影の仕事へ行った。仙台へは車の移動だったが撮影自体は1時間もかからずに終わってしまい、移動時間の方が長くなってしまった。帰ってきてからスーパーにより夕飯の材料を買った。タコライスを作った。ノンアルのビールを買って飲んだ。ノンアルでは零ichiが一番美味しいと思う。夕飯の後は保坂和志の小説の自由を少しだけ読んだ。

2021.09.23

晴れ

 小積に志賀理江子の作品を撮影しにいった。もともと湿気のすごい地面で以前からヒルがいることは知っていたが今までヒルに血を吸われることがなかった。草むらで数分作業をしていたら足を爪楊枝で軽く突かれているような感覚があったので、足首をみると小さなヒルが付いていた。痛みを感じないものだと思っていたので、割と痛むんだなと思いながら足首から引き剥がした。

2021.09.22

晴れのち雨

 夜に友人達とバーベキューをした。今年最初で最後だと思う。山形から来ている子が芋煮を作ってくれた。なぜが皆で絵しりとりがはじまった。夜は雷がなっていた。

2021.09.21

晴れ

 彼女がハヤシライスを食べたいと言っていたので、ハヤシライスを作って食べた。丁度赤ワインが余っていたのでよかった。

2021.09.20

晴れ

 半島に作品を観に行く予定だったが、彼女の二日酔いがひどく安静にするために行くことは断念した。家に帰って昼寝をした。

2021.09.19

快晴

 台風は過ぎ去り快晴だった。物撮りの仕事を受けている会社の事務所でライティングの講習を受けた。光の拡散や芯を意識する。いままで独学でやっていたことなので、ある程度オーソドックスなやり方を知ることができるのは、判断の基準が増えて仕事がしやすくなる。夜は旧北上川の川辺でやっているイベントにいき彼女や友人たちとご飯を食べた。タコライスを食べながらモヒートを飲んだ。ミントは少し青臭さいくらいが好み。数年ぶりにカラオケにいった。なんだか懐かしい気持ちになった。

2021.09.18

 台風の影響で強い雨が降っていた。大学のころ二年間授業をっとていたヴィデオアーティストの河合さんが企画展を見に来てくれた。久松さんとも久々に会った。夕方から梅田哲也さんのパフォーマンスの手伝いがあったので、途中でギャラリーを抜けた。パフォーマンスが終わり、キワマリ荘の大家さんのお店(電気屋)へ行き河合さんたちと合流した。懐かしい雰囲気だった。

2021.09.17

曇り

 低気圧のせいなのか眠気がすごくあまり調子がよくなかった。髪を切った。両サイドと襟足を刈り上げてもらった。最近はサイトのHTMLやCSSを少しいじったりしながらカスタマイズしていくのにはまっている。大きく何かを変えていくというよりは、部分を少しずつ調整したり、メンテナンスしていくのが好きなんだと思う。見ている人がいるのかわからないサイトだがカスタマイズをひたすらしている。千葉雅也のnoteを読んだ。「不快を快に転化する」。滝口悠生の「茄子の輝き」とプルーストの「失われた時を求めて」の第一巻が届いた。読むのが楽しみ。

2021.09.16

曇り

 雨が振りそうな天気だったが降らなかった。彼女が仕事終わりにガネーシャというカレー屋のテイクアウトを持ってきてくれた。ナンが想像の3倍くらいデカかった。スパイスは効いてるが、癖はあまり強くないので食べやすかった。また食べたい。

2021.09.15

晴れのち雨

 彼女が調子を悪そうにしていたがどうやら台風が近づいているらしい。風も段々と強くなって来ている。お昼ごろ家を出ると、ボリュームの過ごい雲があった。日中は晴れていたが夕方からは雨が降り始めた。




2021.09.14

晴れ

 土地や街への解像度をあげるために地図を作ろうとかと思う。記号で作るというよりは、言葉(記号)で作っていく。その場所に辿りづけくための地図というよりは、その場所と別の場所がら繋がり拡がっていくための地図。と言ってみたもののどういう物になるかはわからない。風景の地図。

2021.09.13

晴れ

 保坂和志が今読んでいる本の中で、風景を描くことがその作家の身体性を小説の中に取り込むことになるという話をしていた。風景を見るとは空や雲や建物や道が一度に目に飛び込んで来る経験でそれを言葉にするとは、その並行した流れを一本の流れの中へと無理やり押し込むことで、その力技が身体性を生み出す。3次元を2次元へと変換することで生まれる歪み。アングルの連続。最近、有馬さんとTwitterのタイムラインに流れてきた作品を見た。筆の筆跡をレイヤーに分けて重ねる事で正面から見ると一枚の絵に見えるが横から見るとその絵を構成するレイヤーが分かる3次元的な絵画作品。有馬さんは、これを自分は絵画でやっているけど、これでは悲しみを表現するために悲しいと言っているようなものだと言っていた。このエピソードと保坂和志の話が繋がるのかわからないが、本を読みながら思い出したので並べて書いてみた。

2021.09.12

晴れ

 午前中は部屋の掃除をしていた。午後は企画展の会場マップを渡すためにART DRUG CENTERへ行った。有馬さんが最近作っている写真作品の新しいシリーズを観せてもらった。とてもいい作品だった。

2021.09.11

晴れ

 彼女と友人と旧北上川沿いでやっていたイベントに行った。風がとても涼しい。天気も良くてビールが飲みたい。夕日がきれいだった。夜は会田さんたちがやっている飲み会へ行った。彼女が迎えに来てくれたので22時頃に帰宅。

2021.09.10

晴れ

 昨日はなぜか一日中眠気がすごかったので、今日はいつもより遅めに起床した。天気がとてもいい。岩根さんのトークに行ってきた。日本と海外のサケの話。2つの場所がサケを通して繋がっていく感じが面白かった。是恒さんの作品もそうだが、サケや鯨だったり、海で活動する生物をモチーフにすると作品のなかで空間と時間が拡がりながら繋がっていく。

2021.09.09

晴れ

 6時頃に起床。瓶の収集日だったから、たまった瓶を収集場まで持っていき色ごとに分けてかごに入れる。何故かあとからきたおばあさんが手伝ってくれた。家に戻り食器を洗い、洗面台を掃除して、掃除機をかけ、洗濯機を回し、猫のトイレを掃除する。日差しが強いが汗をかくほどでもない。もう夏ではない。風も涼しいし夏から秋に変わっていく今のタイミングが1番過ごしやすい。テキストを書くためにiA writerを使っている。パソコン用のソフトもあるがAndroidのアプリを使っている。今は書くことのハードルをできるだけ下げていく事を考えている。iA writerの機能は豊富ではないが、デザインもシンプルで余計なことを気にしなくていい。長文を書くのに向いているのかは知らないが日記を書くことくらいならなにも問題ない。キワマリ荘の近くに月10万円で貸し出している2階建ての一軒家がある。二人で住むには広すぎるが窓も大きく日当たりも良さそうでいい。基本的に朝型なので日当たりがいいかどうかは結構大切で、風通しがいいかも精神面に影響してくる。昔から高台の上に住んでいたから見晴らしがいい場所のほうが落ち着く。見晴らしのいい場所に住みたい。できれば街並みが見下ろせるか、水平線が見えるような場所。夜は風が心地いい。知り合いに貸していた「カフカ式練習帳」が返ってきたので読み始める。

2021.09.08

雨のち曇り

 夕方まで雨が降っていた。午後からはかなり強めの雨になっていた。彼女がピザを食べたいというのですぐ近くのガストでピザをテイクアウトして食べた。ゴミの日をPDFファイルのカレンダーを開いて確認するのが面倒だから、Googleカレンダーに日程をすべていれた。最近よく耳にするアップデートという言葉への違和感というか自分はそういう言葉を絶対使わないなという感じはなんなのだろうか。ソフトウェアのアップデートであれば、アップデートという言葉を使っても構わないが、いま耳にするアップデートは人間側の事を言っている。中身を入れ替えて新しいバージョンにしていく、そのことによって今までとは違う何かになれるというのは幻想というか思考停止だろう。人間はどうしよもなく変わることができない部分を持っているし(身体性とか)、そういった部分と向き合わなければいけない。アップデートされていないと揶揄されるのなら、それでいいと言えばいい。変化はもっと多様な仕方で可能なはずだし、たやすくバージョンを変えることができない自らのままならなさに目を向けることから始めるべきだ。アップデートという言葉は、そのままならない現実から目をそらす口実でしかない。

2021.09.07

晴れ

 市街地で最近よくスズメバチを見るようになった。花の蜜なのかわからないが何かを探しに来ているような感じだ。別に襲われそうな感じではないし、一匹で飛んでいるところしか見ないのでいいのだが、あれだけ大きな蜂が目の前を飛んでいると本能的に避けてしまう。検索してみたらスズメバチの行動範囲は基本的に1~2kmで餌の昆虫が少なくなる9月ごろには10km飛ぶこともあるらしい。きっと市街地からそう遠くないところに巣ができたのだろう。小学校低学年のとき、いつもの通学路を歩いていたら、家の屋根にかなり大きなスズメバチの巣を見つけて石を投げて落そうとしていたら誰かにひどく叱られたことを思い出した。いったい誰に叱られたんだっけな。少し寒い季節だったような気がする。

2021.09.06

晴れ

 秋になった。日差しはまだ強くて暑いが風が完全に秋の風だ。夕方になればかなり肌寒い。帰りに発泡酒を買った。

2021.09.05

晴れ

 彼女とリボーンアートフェスティバルの旧荻浜小学校に展示されている作品を観てきた。岩根愛の作品は空間の使い方含め作品もよくて観ていて楽しめたが、他の作品はピンとこなかった。まだ半島の方には見れていない作品がいくつかあるので時間を見つけて観に行きたい。

2021.09.04

雨のち曇り

 彼女とリボーンアートの市街地エリアを見て回った。雨宮庸介とMESの作品が良かった。雨宮庸介は人不在の演劇を見ているような感じで、見ていて面白かったし、会場の元レストランからの眺めがとてもきれいで、それも含めてよかった。もしここが喫茶店として営業していたら通っていたと思う。MESは元銭湯を会場に展示していた。インスタレーションとして会場をうまく使っていてよかったと思う。


2021.09.03

 めっきり秋の気候になってきた。もう半袖は寒い。夜にピザを頼んで食べた。

2021.09.02

晴れ

 日差しは暖かいが、風が少し冷たい。9月になると同時に夏が終わり秋に近づいた。光の色も少し秋の雰囲気がある。季節が変わると光も変わる。彼女が会社から小型のデスクトップをもらってきた。ネットサーフィンできるぐらいのスペックなので、CPUとGPUを変えて、HDDをSSDに変える。簡単な映像編集はできるくらいのスペックにしたい。キーボードとマウスも変える必要がある。少しづつやっていく。

2021.09.01

 ワクチンの副反応はだいぶ良くなった。朝は37.0以上あったが、暫くして平熱に戻った。だるさもだいぶなくなった。夏が終わったかのような気温。半袖では肌寒い。自分のサイトのデザインを色々といじっていた。お金はかけられないので、できる範囲でみやすくしている。気温がさがったせいか猫が膝の上に乗ってくる。乗ると寝始める。気持ちよさそうなのでなかなか下ろせない。YONAYONAを飲んだ。雨が降っていなければベランダで飲みたくなる気温だった。

2021.08.31

晴れ

 昨日打ったワクチンの副反応で朝からなんとなくだるい。解熱剤を飲んだらかなりましになった。動けないほどでもないから午前中は軽く部屋を掃除して洗濯物をすませる。夏目漱石の明暗とフロイトの精神分析入門を交互に読む。組み合わせに特に意味はない。飽き性なので、いつも2、3冊を同時に読み、飽きたら交換しながら読んでいる。天気がよくて、丁度いい気温。猫は1日ベットの上で寝返りを打ちながら寝ている。本を読むことに飽きたら、頭を撫でてまた本を読み始める。頭の中に浮かんだ昔の記憶を日記に書こうと考えていたら、何故か思い出せなくなった。そのうちまた思い出すだろう。思い出した。「ドライブ・マイ・カー」(村上春樹原作、濱口竜介監督)を見に行きたいなと思いながら、初めてちゃんと読んだ小説が、中1ぐらいのときに読んだ「海辺のカフカ」(村上春樹)だったなという記憶を思い出したのだった。それまで活字を追うことが苦痛だったのに、親の本棚にあった海辺のカフカを読み始めたら何故か最後まで読み通せた。文庫で上下巻のある割と長編の小説なのにその時は何故か読み進められた。今でも理由はわからないが、その時から活字を追う苦痛はなくなった。昨日、実家からデスクライトを持ってきた。部屋の電気が少し暗いのでこれがあると、とても本が読みやすい。書見台も欲しい。姿勢が悪いと肩が重くなってしまう。


2021.08.30

晴れ

 夜、彼女とコンビニへ行ってソフトクリームを買った。果実系のアイスを買おうかと迷ったが一番シンプルなソフトクリームを選んだ。そういう気分だった。読むのが途中で止まっていたフロイトの精神分析入門を読み始めた。大学1回生の頃はユングにはまっていた気がする。ワクチンの2回目を接種してきた。1回目は注射を刺された事にも気が付かないほどあっという間に終わっていた。2回目は痛みを感じた。6時間以上たっても腕の軽い痛みしかなく、これといった副反応は出ていない。明日からひどくなるのだろうか。 

2021.08.29

晴れ

 平野君が作品の一環で飼育するウナギを捕まえたと聞いたので夕方にギャラリーへ見に行った。想像より1.5倍くらい大きかった。一度だけ北上川の岩の間で餌釣りをしていた時にウナギを釣ったことがある。その時釣ったウナギはまだ小さくて、食べるにも食べれない大きさで持ち帰った後、平野君が川に放してくれていた。

2021.08.28

晴れ

 夏目漱石の明暗を読んでいる。中学生の頃、草枕が好きで何度も読み返していた。ある日の国語の授業中あまりにも授業がつまらなくて、漫画を読むわけじゃないし夏目漱石なら問題ないだろうと思い、草枕(こころだったかな)を読んでいたら教師に激怒されて、薄い教科書の背表紙で頭部を勢いよくはたかれそうになったことがある。反射的にかわしてしまった。2回かわしてしまったところで、よけるなと言われた。それでも身体が反射的によけてしまうので3回目もかわしたら、使っていた机を投げ倒され、廊下に出されてしまった。いまどき廊下に立たされることってあるのか、と思いながらも早く続き読みたいと考えていた。どうでもいい記憶だが漱石の作品を読んでいるときにいつも思い出す。それにしてもつまらない授業だった。

2021.08.27

晴れ

 たまに遠藤薫さんのツイートを思い出す。切実とはきわめて適切な様のことをいうらしい。必死そうに見えないとしてもその人にとっての切実さは常にあるんじゃないかと思う。 

2021.08.26

晴れ

 朝起きて歯を磨いて、洗面台を掃除した。洗濯物を干して着替えて、撮影の仕事へ向かった。Twitterのリストという機能を今まで使ったことがなかった。そのことを最近知り合いと話した。その人はかなり細かくリストを作っていて、基本的にリスト上でTwitterのタイムラインを見ているらしい。自分にはできないと思った。Twitterを見ていて疲れるのは、自分の存在の一貫性を投稿という行為によって証明し続けなければいけないような雰囲気があるからだと思う。自分の所属や、どんな関係性のなかで生きているのかをタイムライン上で証明し続ける。誰かへの応答を常にもとめられている。応答してもしなくてもいいような状況が自分にとっては必要なんだと思う。

2021.08.25

晴れ

 朝食はパンを焼いてマーガリンを塗って食べた。お昼頃から左足の親指に違和感があって、ずっと気になっていた。指先に棘が刺さったような痛みがあり、でもとげが刺さるようなことはしていないよなと思いながら、足の親指をよく見てみると2,3mm程の黒い棘が刺さっていた。何処で刺さったのだろう。ピンセットがあったので抜いた。痛みは消えた。昔から痛みには強かった。我慢強いのか鈍感なのか。痛みの程度というか、感じ方は人によって違う。同じ強さでつねったとしても痛みの感じ方が多分違う。どんな風に違うのか。痛みを感じることへの深刻さ、恐怖心、よくわからない。痛みはなかなか共有できない。小泉義之の「病の哲学」がまだ途中だったのを思い出した。

2021.08.24

曇りのち雨

  空き地のまま放置され、何も手をつけられていない土地に雑草が生い茂っていた。雑草の上を大量のトンボが飛んでいた。よく見る茶色のトンボだった。最近トンボの数が増えた。実家は高台の上にある。今はほとんどの土地が住宅で埋め尽くされている。子供の頃は空き地ばかりだった。空き地は土地ごとに段になりながら連なっていて、その段差を飛び越えながら遊んでいた。空き地以外何もない場所だった。高台から見える景色は好きだった。西側には田んぼだけが広がり、遠く向こうには泉ヶ丘スキー場が見える。夜になるとスキー場を照らすライトが豆電球ほどに小さく見えた。たまに打ち上げ花火も見えた。それが何処のお祭りの打ち上げ花火なのかはいまも知らない。高台は風を遮るものがなく、いつも風が強かった。幼いころ高台の端まで行き、斜面に単管パイプで建てられた地名の書いてある看板に上り、意味もなく強風にあたっていたのを思い出す。一日曇り空で夕方からぽつぽつと小雨が降り始め、夜には本格的な雨になっていた。

2021.08.23

晴れ

 午前中は部屋の掃除をしていた。洗濯物を干した。よく乾きそうな天気だった。TUTAYAの中にあるドトールへ行った。そこのTUTAYAには古本も売っている。ドトールへ行く前に必ず古本の本棚を見てしまう。ほとんど品揃えは変わってい。それを知りつつもなんとなくいつもと同じような場所を見て回り、なにも面白そうなものがないなと思いながら本棚を離れる。プルーストの「失われた時を求めて」を読みたいと思い新本のこコーナーへ行く。岩波文庫のコーナーに置いてあった。一巻目だけがなかった。諦めてドトールへ入った。山下澄人の「しんせかい」を読み終わり、今村夏子の「こちらあみ子」を読んだ。 

2021.08.22

晴れのち雨

 今日はキワマリ荘に在廊していた。蚊に数カ所刺されてしまったので、蚊取り線香を入り口でたいた。自転車で帰宅しているとき、頭上には雲が薄く広がっていて、遠くの空には雲がなく、夕日でオレンジと青のグラデーションができていた。それをなにも考えずに眺めていた。一瞬建物のあいまから飛行機がみえた。飛行機雲が短く彗星のように見えた。建物が視界に立ちはだかり見失ってしまった。旅客機ではない飛行機だろう。彼女がバンバンジーを食べたいというのでスーパーで鶏肉と胡瓜を買って作った。 

2021.08.21

 晴れときどき雨

 19時ごろ夕飯の材料を買いにいこうと外へ出たがラーメンが食べたくなり、結局近くのラーメン屋へいった。食べ終わり店内からでると雨がぽつぽつと降っていた。家へ帰って、本の続きを読み、ベットの上で寝ている猫を眺めていたら自分もいつの間にか寝ていた。起きたら23時をすぎていた。のどが渇いてコンビニへ行った。外は雨がやみ涼しい風が吹いていた。ウィルキンソンのレモンを買った。

2021.08.20

 晴れ

 久々にイオンモールへ行った。 目的は本屋だった。石巻にある本屋は基本的に品揃えがわるく、欲しいと思った本は基本的に置いていない。本はAmazonで買うのであまり問題はないのかもしれないが、Amazonだけで買っていると、いつの間にか似通った本ばかりになってしまう。本屋の方がジャケ買いみたいに不意の出会いがあって読む本に拡がりがでる。帰りにフードコートでなにかご飯でも食べようと思ったが、注文できる時間が19時までに短縮されていた。ラーメンを食べるつもりだったが食べれず、なぜかマックだけは注文できたのでフィレオフィッシュのセットを頼んで食べた。

2021.08.19

晴れ

 朝起きて昨日買った「しんせかい」を読む。数ページ読んだところで、ベットから出て、テーブルの上にある食器や飲んで空になった缶をかたずける。歯を磨いて洗濯物を干して、コンビニへコーヒーを買いに行った。朝食は昨日買ったパンを食べた。本屋に行って梶井基次郎の「檸檬」を買った。なんとなく買った。そういえば読んでいないと思って。彼女が醤油のクリームパスタを食べたいというので本屋の帰りにスーパーで玉ねぎ、えのき、牛乳を買って調理した。午後は昼寝をしてから、企画展のサイトの更新作業をした。 

2021.08.18

曇りのち晴れ

 お昼ごろまで雨が降っていた。本屋に行って山本澄人の「しんせかい」を買った。午後はソフトリブさんの手伝いをしにキワマリ荘へ行った。ペイント、映像、立体のバランスをみながらホワイトキューブではない空間で展示するのは難しい。グッツも追加すると言っていたので、空間のボリュームも今より増すと思う。16時からは東京工業大学の学生にRAFと街の関係性についてのインタビューを受けた。聞かれたことに対して思いつくままに答えていたので、これで大丈夫なのかと少し心配だが、多分大丈夫なんだと思う。夜は涼しいベランダでビールを飲んだ。 

2021.08.17

 朝起きて歯を磨き、猫に餌をやり、テーブルの上に散らばっている昨晩使った食器をかたずけて、洗い物をする。近くのコンビニでコーヒーとカフェオレを買い、目玉焼き、ベーコン、レーズンの入ったパンを焼いて朝食にした。傘をさすか迷う程度の小雨が降っていた。曇りや雨が続いている。今日は燃えるごみの日だから、ごみを出してから自転車で作業場に向かった。お盆明けで街中で見かける人の数も少しだけ減った。もともと出歩いている人が多い街ではないが、お盆中は帰省してきた人々が多少はいて、お盆っぽい雰囲気があった。半袖でも過ごせるが長袖の方が落ち着く。半袖にするか、長袖にするか迷う季節に長袖を着て過ごすのが昔から好きだった。大友良英の「バラ色の人生」という作品の上演を手伝っている。声をかけられたときは黒子として手伝うと聞いていたから、演奏の補助なのかと思っていた。実際は演奏する側で、それって黒子というのだろうかと思いつつも手伝っている。家電やターンテーブルが山積みになっていて、そのうちいくつかを延長コードの電源タップをON/OFFすることで演奏する。演奏者よりもオペレーターに近く、指示書を確認しながら操作していく。操作にはかなり慣れてきてはいるが、いい演奏ができたのかどうかの判断はなかなかつかない。操作のタイミングも人それぞれで違うから、これがあっているというのもないからだろう。そのうちいい演奏ができたと思うタイミングがやってくるのか。 

2021.08.16

 曇り

 連日の涼しさのせいか蝉の声があまり聞こえてこない。少し前に仕事で宮城県庁に行った。とても暑い日で、入り口前にあった木々からは蝉の声が聞こえていた。その音量が尋常ではなく、いったい何匹の蝉がいるのかと考えていた。数を想像すると少し気持ち悪い。今日も駐車場には三毛の子猫が居て、様子を伺っていると停まっている車のボンネットに入っていった。ボンネットに入る癖でもあるのだろうか。しばらく放っておいた。多分、外へ出てどこかへ行ったと思う。仕事の帰りにスーパーによってキノコ、ベーコン、にんにく、ペンネ、牛乳を買ってキノコのクリームパスタを作った。風が心地よく、外で飲むにはちょうどいい気温だった。ベランダにテーブルと椅子を出して作った料理を食べながらお酒を飲んだ。

2021.08.15

 曇り

 昨日と同様今日も気温が低い。年中これくらいの気温がいい。彼女が父親にご飯を買いにいくといって出かけようとした間際に子猫がいると言い出したので、駐車場の端にある茶色のプレハブの下を覗きに行った。覗いてみるともう子猫はいなくなっていた。もうどこかへ消えたのだろうと思っていたら、彼女の車の下に移動していたらしい。子猫がいたのでは車が動かせないので、下から誘い出そうとしたらボンネットの中に入っていってしまった。ボンネットなど開けたことがないので、とりあえず開け方をググって開けようとしたがうまく開けられず、そうこうしているうちに子猫自らボンネットからで出てきて生い茂った蔦の裏に隠れた。周りにほかの猫が見当たらない。はぐれたのか、それとも一人で遊んでいるだけなのか。子猫を連れて帰ったらまた先住猫が嫌がるだろうなと思いながらその場を去った。

2021.08.14

 気温が一気に低くなって夏の気配がどこかへと消えてしまった。気温はまた上がっていくのだろうか。秋へと変わっていく手前ぐらいの気温。部活帰りに風で汗が冷たくなっていくのを心地よく感じていた中学生のころを思い出す。拾った子猫が4四ともひきとられた。数週間一緒にいると愛着が生まれてきて少し寂しいような気もする。先住猫はストレスの種がいなくなってどことなく元気になっていた。 

2021.08.09

 台風が近づいているせいか気圧の変化であまり調子が良くない。多分三日間泊まり込みの撮影の仕事をしていたせいもある。企画展が今週から始まる。展示する作品は水平線を撮影した作品と日記のように制作する映像になると思う。どうでもいいようなこと、非本質的なことが薄い膜が重なっていくように蓄積されていく。そんなイメージの作品にできればと思っている。タイトルは「発火する記憶」とか「記憶の形見」とかいくつか思いついたが、まだピンと来ていない。

 

「たしかにあったどうでもいいことは、この世界にどのように残りうるのか。それともどうでもよさゆえに忘れられ、いつかは消えてなくなってしまうのか。」(1)

 

(1)『死んでいない者』滝口悠生

2021.08.03

 晴れ

 拾った子猫のうち1匹は早々に飼い主が見つかり引き取られていった。残りの3匹も次第に元気になり、部屋の中を歩き回っている。近くのアパートの階段にある蛍光灯が一昨日くらいから点滅しはじめて、その明かりが部屋にダイレクトに入ってくるので、夜部屋の明かりを消すとかなり気になるくらいだ。ただ、その点滅の速度がなんだか気になって今日の夜にカメラで映像を撮影しておこうと考えていたら、日中に新しい蛍光灯に交換されたらしく、もう点滅することはなくなっていた。

2021.07.28

晴れ

 猫を拾った。拾ったというよりは保護したといった方がいい気もする。アパートの前を歩いていると子猫の鳴き声がしたので、車の下を覗いたら子猫がいた。潰されないように車の持ち主に伝えて、しばらくしてから様子を見に行くと段ボール箱の中へと投げ入れて、ビニールテープでギチギチに蓋をしていたので、慌てて「家で預かります。」と引き取った。すでに猫が一匹いるので多頭飼いができない。里親を探すしかない。大学生の頃、ネズミ捕りに貼りついて動けなくなっている子猫を助けたことがある。その時もどこからか聞こえてくる鳴き声を頼りにただふらふらしていたら子猫を見つけた。数年に何度かそういう日があるのかもしれない。猫を引き取るといったときに「生かすのかい?」と聞かれたので、きっと殺すかどこかへ捨てるつもりだったのだろう。あの日ネズミ捕りの粘着剤でベトベトになっていた子猫をベビーオイルとぬるま湯で綺麗にしたことを思い出した。

2021.07.27

 曇り

 明日は台風が来る。今日は晴れと曇りが繰り返される不安定な天気だった。日中は家で過ごしていた。彼女は台風に備えて早めに仕事を終わらせて帰ってきた。今住んでいるアパートの目の前が浸水する可能性があるので、車は日和山に置いてきたらしい。市内では数か所いつも大雨が降った日に浸水する箇所がある。食材を買いにスーパーへ行った。明日は棒棒鶏を作る。昨日、ポスターを入稿した。もっと凝ったデザインにしたかったが自分でやるには限界があった。次はデザイナーをいれてやれたらと思う。今週中にDMも作って入稿しないといけない。展示する作品の準備もある。「断片的なものの社会学」を読み終わった。

2021.07.24

晴れ

 午前中は歯医者の用事が入っていたので自転車で向かった。歩く速度も好きだが自転車で街中を走るのも嫌いじゃない。治療が終わった後、ちょうどいい安めのサンダルがないか色々なお店を回ったがどこにも置いていなかった。余計な趣向をこらしたものばかりで、単色のシンプルな構造のものがどこにもなかった。最終的にアパートから一番近いセリアに行ったら、ちょうどいいものが売っていたので購入して帰宅した。午後はポスターを制作した。明日には入稿したい。

2021.07.17

 晴れ

 午前中は歯医者へ行った。歯医者が終わりお昼ごろに美容室へ行って髪を切った。半年くらいは切っていなかったので、かなり長くなってしまっていた。短めに切ってもらった。その後は河北新報の人が取材に来るのでキワマリ荘へ行った。取材が終わって、はるひと土井さんと平野君のギャラリーへ行った。写真を撮る必要があったので数枚撮影した。

2021.07.16

晴れ



2021.07.15

 晴れ

 晴れた日にアパートの窓辺から見える景色がわりと好きだ。滑り台しかない小さな公園が見える。最近、草が刈られて草の背丈が低くなった。子供が遊んでいるところを見たことは一度もないが、手入れはされている。植木も剪定されているが形がなぜか歪んだ楕円形になっている。奥に見える低い山の緑が綺麗でなんとなく見入っている。ここらへんには猫がたくさん住み着いていて一家なのかみんな同じように毛が長い。朝家を出るときや夕方帰宅するときに、軒先に猫がよく集っている。どの猫も警戒心が強く近づくと一目散に逃げだしてしまう。部屋の位置的に風が良く入ってくるので、風がある日は窓辺に座るととても心地がいい。

2021.07.14

 晴れ

 早朝のバイトが終わり帰宅する。はるひがお昼ご飯を家で食べるので、強力粉、オリーブオイル、砂糖、塩、ドライイーストで簡単なパンを焼いた。はるひが事務所で手作りのグラタンをもらってきたので、パンとグラタンを食べる。焼きたてのパンが一番おいしい。断片的なものの社会学を最近読み始めた。

2021.07.13

 晴れ

 梅雨で雨が続いていたが今日は久々に晴れた。天気予報では雨だったらしいが雨は降らなかった。昨日の夜に少し長めの柔軟をしたおかげなのか、今日の朝は頭の奥にある靄のようなものが感じられなかった。多分睡眠の質が少し変わったのだろう。はるひが今日から家でお昼を食べると言っていたので、冷やしラーメンを作った。茄子とズッキーニを素焼きにしたものとトウモロコシとささみをほぐしたものと煮卵をトッピングした。はるひがもらってきたトウモロコシがものすごく甘くて驚いた。水で表面を濡らして、サランラップで包んで500Wの電子レンジで5分くらい加熱すると茹でたトウモロコシのようになる。茹でるよりも簡単。午後はキワマリ荘に行って有馬さんのフォトカードの物撮りをした。企画展で展示する作品について考えている。偶然=無意味なものとどう向き合っていくのかを考えている。大抵の場合、偶然=無意味さに意味や物語を見出して自分を納得させる。占いが一番わかりやすいかもしれない。物語は治癒の効果もあるが必ずしもいい効き目をもたらすとは限らない。薬にも毒にもなる。偶然をただの偶然として受け入れることはできるのか。それは、無意味なものを無意味なものとして受け入れていくということ。無意味さに過剰な意味を付加しないこと。日常で起こる多くの出来事や、一瞬意識に浮かび上がってくる感覚はほとんどが無意味なものとして記憶されることもなく忘れ去られていく。そんな忘れられていくもの、忘れても何も問題にはならないものをフォーカスした作品が作れるだろうか。

2021.07.12

 晴れ

 少し曇り気味の一日だったが、連日の梅雨の雨にくらべれば晴れに等しい。久々に雨が降っていなかったので溜まっていた洗濯物をすべて洗濯して外に干した。洗濯物がたまっていたいたり、水回りが汚れていたり、床に埃がたまり始めると精神的に少しざわつき始める。精神的に落ち込みそうなときはできるだけ掃除をして空間だけでも整理しておくようにしている。

2021.07.11

 雨

 今日は新しくキワマリ荘のメンバーになるかもしれない人が来た。土井さんという方でロンドンの大学に行っていたらしい。はるひの昔からの友人で最近は連絡を取っていなかったが、久々に連絡をとりキワマリ荘に誘った。ADCとルーマーズガーデンに案内し最終的にキワマリ荘のメンバーとしてやっていく事に決まった。どういったスペースを作っていってくれるのかとても楽しみ。

2021.07.10

 曇り

 午後からキワマリ荘に行ってきた。梅雨に入って雨の日が続いたせいで看板にカビが生えてきていた。ブラシでこすったりしたが完璧には取れない。後でまた作り直す必要がある。ミシオ君がいなくなった部屋の壁についている画鋲を全部はがした。早く次の借りてくれる人が決まると嬉しい。明日はるひの友人が部屋を見に来る。借りようか検討してるらしい。この街で活動してくには自分のスペースを持って試行錯誤を繰り返していくのがいいと思う。

2021.07.09

 雨

 一日中雨が降っていた。11時まえにキワマリ荘へ行ってミシオ君が使っていた部屋の掃除をする。ガラスも曇っていたので拭いた。企画展では忘れてもいいものを作品へしていく。何が忘れてもよくて、何が忘れてはいけないのか。忘れるなという時、人は誰に向かってその言葉を放っているのか。死体になったとき記憶はすべて解かれる。覚えておくことが弔いなのかもしれない。どうあがいても人は忘れていく。覚えている人間と何も知らない人間。その狭間で何を考えるのか。記憶と忘却の狭間でなにを作るのか。雨が降ると洗濯物が干せないのが一番のストレスかもしれない。

2021.07.08

 雨

 朝五時に起きてバイトへ行く準備をする。自転車で4分くらいの場所なのでそれほど急ぐ必要はないが、朝五時に起きるのは習慣化されていないから少し辛い。バイトが終わり家で少し休んでからキワマリ荘へ行く。ミシオ君が京都へ帰るので見送る。深夜に無事に京都についたと連絡が来る。クラウドファンディングで11万くらい入れてくれた人がいた。夕方はちばさん、平野君、志村さんで打ち合わせをする。RAFから手つかずの庭に支援できるという話があった。平野君はRAFの作家とコラボしたり、イベントを企画するのは嫌だと言っていた。確かに今回の企画展は独立してやるという主旨が初めからあった。協力してもらっては意味がない。それは拒絶ではない。拒絶は容易い。取り込んでいく事の方が難しいし、変化を生んでいく。線引きと、取り込みそのバランスが大事。「忘れてもいいものたちの邂逅」。ぱっと思いついた作品のタイトルだが語呂が悪いな。

2021.07.07

 雨

 一日中雨が降っていた。小雨だからすぐに水浸しになるわけではないが、長時間外にいると全身がいつの間にか湿っている。日中は役所に行って必要な手続きをした。19時からミシオ君を見送るラジオのようなものをTwitterのスペースを使ってやった。お便りを募集した。思ったよりも届いてよかった。ラジオは今後も定期的にやりたい。今回はミシオ君、平野君、はるひ、僕でやった。ミシオ君のように話題に尽きないひとや、はるひのように話を振れる人がいないと成立しない。次にやるとしたらどんなテーマでやったらいいだろうか。なにか面白い企画がやりたい。

2021.07.05

 曇り

 小泉義之の病の哲学をよみはじめた。ソクラテスとプラトンの対立についての章をよんでいる。ソクラテスは自分が死ぬ理由を神による宣告だから自殺でも他殺でもないといい、正当化しようとしている。死ぬことでより素晴らしい国へと向かう。死への哲学。そうではない哲学をプラトンは持っていた。面白い本だと思う。まだすべて読んではいないけど。小説に描かれる様々な場面はほとんどが忘れてもいいような瞬間だったりする。そんな場面を丁寧に積み重ねていく事で作品が生まれていく。次の作品はそんなものが作りたい。忘れるなという無言の圧力が強いこの街で、忘れてもいいことを積み重ねることで作品を作っていく。忘れていること自体を忘れないと本当に忘れたとは言えない。0と1の間で思い出せないが忘れているわけではないという状態が何かを忘れてしまっているということ。0ではないからまた思い出せる。忘れてもいいものの積み重ねが、忘れてしまったものの積み重ねが無意識をつくっているような気がする。

2021.07.02

 曇り

 彼女が感染性胃腸炎になった。発熱と頭痛と腹痛がひどく辛そう。こういうとき普通は何かしてあげられないかと考えるんだと思う。すでに医者に行って薬ももらっているし、自分にできることは近くで見守るか、随時必要なものを買ってきてあげるか、良くなるまで時間を共にするくらいしかない。自分が指をけがしたときも手術の後は時間が経過して治癒することを待つしかなかった。根本的になにか病に対して良い作用を与えたいなら医者に頼むしかないと思う。だから自分は根本的に病をどうにかしようとは思えない。医者ではないから。

2021.07.01

 雨

 クロネコヤマトの荷物を仕分けるバイトがはじまった。地区ごとにトラックが分かれているから、荷物についている番号を見てトラックごとに荷物を仕分けていく。初日なのもあるが、あまり区分けに詳しくないので少し苦戦した。区分けに詳しくないことと、この街に愛着も憎悪もないことは関係していると思う。これから多少詳しくなったとして、街へのイメージは変わっていくだろうか。

2021.06.30

晴れ

  久々にイトナブの事務所にいった。シマワキ夫妻がいて久々に話した。彼女が鬱でそれとどう付き合っていくのかを話した。僕はとりあえず一緒にいることしかできないという話をした。例えばODをしてしまったとして、その時僕は状況が良くなることを一緒に待ってあげることしかできない。その人を自分が良くしてあげるんだという感覚は精神科医とかならいいかもしれないが、パートナーとしては良くない気がする。状況が改善されなかった時の自分への「どうして良くしてあげられなかったんだ」という失望と、「どうしてこんなに手を尽くしたのに良くなろうとしないんだ」という相手への苛立ちのようなものが同時に襲ってくる。そう思うのは気を抜くとそう考えてしまいそうになる自分がいるからだけど。クラウドファンディングが1日で30%ぐらい達成された。いいスタートダッシュだと思う。

2021.06.28

 晴れ

 彼女とイオンに行った。かなり久々にショッピングモールに行った。彼女が眼鏡をなくしたのでJinzで眼鏡を作った。ちょうど割引の棚にデザインのいいものがあったのでそれを買ったようだった。メガネができてからマックでハンバーガーとポテトを食べる。知人が最近塩分を気にしていて、1日の摂取量をある程度制限していると話していた。その話を思い出しながら、多分いま2日分ぐらいの塩分を摂取しているなと考えていた。もしかしたらもっと多いかもしれない。そう思いつつMサイズのポテトをすべて食べ終えた。

2021.06.27

 晴れ

 前日に少し飲み過ぎて起きるのが遅かった。口の中がいつもより乾燥している。彼女は二日酔いらしく午後までベットの上で寝ていた。シャワーを浴びて外出の準備をする。今日でちばさんの展示が最後なのでギャラリーに記録用の写真を撮りに行く。SoftRibさんと富松さんとミシオ君がいた。写真を撮ってからART DRUG CENTERへ行った。有馬さんが買ったティルマンスの写真集を見せてもらう。「Burg」という写真集。いい写真集だった。風景と雑多なテーブルと脱ぎ捨てられた服。写真集で前後する写真に文脈はあるのか。ページをめくるごとに新しいイメージが重なっていく。その厚さがいい。夕飯にチキンステーキを食べたいと彼女が言うので、鶏肉を買って作った。塩で鶏肉に下味をつけて、フライパンに多めに油を注ぎ皮の面から焼く。フライパンが常温の状態から焼くのがいいらしい。皮の面がカリカリになるまで焼いて、ひっくり返して反対の面を軽く焼いて終わり。残った油でみじん切りにした玉ねぎを炒める。火が通ったら醤油、みりん、酒、水、砂糖、にんにくを加えてとろみが出たら鶏肉にかける。ズッキーニとエリンギを素焼きして皿に盛り付けて完成。美味しかった。

2021.06.26

 晴れ

 萬画館でやっていた野外上映会でラピュタをみた。久々に観たので詳細な部分をかなり忘れていた。まだ日が暮れると肌寒い。映画を見るには薄着で行ってしまった。平屋が近いので上着をとってきて彼女に渡す。映画のクライマックスで雲が晴れ月が見えた。綺麗な満月だった。映画の後に少し飲みたくなったのでもぐもぐへ行った。瞬さんやよく街中で見かける人たちがいた。紫蘇サワーを頼んで飲む。少し飲み過ぎてしまった。帰りにコンビニによって帰宅。二人ともそのまますぐに寝てしまった。

2021.06.25

晴れ

 ともみさんと石巻青果の空撮へ行った。事前のリハーサルをしていたので予定よりかなり早く撮影が終わった。ドローンのバッテリーがそんなに長時間もつわけではないので早く終わってよかった。今後ドローン撮影を仕事の一環としてやっていくためにはやらないといけないことが色々あるな。保険とか許可証とか。

2021.06.23

 曇り

 午前中にバイトの面接に行ってきた。撮影の収入が減ってきたので短期のバイトを始める。日中の用事が多いので早朝6時からのバイト。続けられるかわからないがとりあえずやってみる。震災から10年がたって、当時この街にやってきた人々が言っていたことが現在では常套句化している。当時出会った大人達はあの頃と変わっていないつもりなのかもしれないが、僕から見たらむしろ変わらない事で変わってしまったようにみえる。

2021.06.21

 晴れ

 ともみさんと石巻青果の卸売場へドローンのテスト飛行をしに行った。会社の全体像と駐車場の上空写真が欲しいらしい。思ったより高く飛ばないのでどうしたのかと心配になったが、50mまでの飛行制限がかかっていた。それを解除して無事テスト飛行が終わった。

2021.06.19

 雨

 ミシオくんの送別会をした。雨がすごかったから今日じゃないほうが良かったかもしれないが、もう予定が決まってしまっていたから開催した。お昼ごろにART DRUG CENTERへ行き有馬さんと話した。道路は聖火ランナーのために一部閉鎖されていた。車が立ち往生して帰れなくなっていた。運転手は警備員にここを通れないと帰れないからどうにかしてくれと言っているようだったが、警備員は自分はここにいろとしか言われていないから何もできないという感じだたった。どちらも大変そうだなと思いながらそのまま平屋へ帰った。

2021.06.18

 晴れ

 クラファンに出す富松さんの鹿の作品の写真を巻組とIRORIへ撮りに行った。準備は着実に進んでいる。公開してから実際にいくら集まるのかはわからないが、やるだけってみる。

2021.06.16

 晴れ

 クラウドファンディングの準備を進めた。彼女に事務的な面でかなり力を貸してもらっている。僕はかなり曖昧なコミュニケーションをとってしまう。例えばそこで交わされた会話の意味がほぼ確定できるようなことでも、「~だったと思う」とか「多分~」と言っていしまう。断言することへの抵抗がある。事務的な内容を扱うときにそれでは困るわけなんだけど。「結局どっちなの?」となってしまう。それで、彼女にも色々といわれてしまう。昔から断定から始まるコミュニケーションが苦手だった。どうして断定できるのかがわからなかった。別の可能性を考慮してしまうし、今話されたことと、考えていることは必ずしも一致しないと思ってしまう。断定してしまうことができない。だからその一歩手前で立ち止まってしまう。あーでもないこうでもないと考えてしまう。どちらのコミュニケーションの取り方が良いのかではなく使い分けれるようにならないといけない気がする。

2021.06.15

 晴れ

 女川で撮影の仕事をしてきた。海中に沈んでいる車を引き揚げるプロジェクトを始めようとしている人がダイビングで直接車を見に行く様子を撮影した。はじめにインストラクターに説明を受けてから海に潜る。船上から撮影していたがしばらくすると二人のうち一人が浮かびながら運ばれて来た。水中が息苦しくてリタイアしたらしい。恐怖心に勝てないと水中でパニックになり、潜っていられなくなる。自分だったら水中の恐怖心に耐えることができるだろうか。インストラクターの人がダイビング前の説明で潜っている最中に体に力が入ると勝手に回転してしまうからできるだけ力を抜いたほうがいいと言っていた。だいたい利き手の方向に回転するらしい。脱力していると思っても無意識に力が入ってしまう。陸地での生活でも人はかなり体に力を入れて生きているんだろう。たまにそれに気が付くと疲れが押し寄せてくる。

 手つかずの庭でやろうとしていること。新しいことをやりたいわけではない。今できつつある生態系を壊さないことを考えている。石巻のキワマリ荘やART DRUG CENTERは理念を掲げた共同体ではない。だけど、完全にばらばらで何かをやっているわけではない。その状態を壊したくない。新しい価値観を打ち出そうとしているわけではない。今までに生まれた価値観を紐解いていく事を通して、見えなくなっている側面に光を当てることがやりたい。これは、単発で終わるわけではない。これからもここでの活動は続いていく。一瞬の出来事ではない。

2021.06.14

晴れ 

 夕方、打ち合わせ中に花火があがった。街中では毎年夏祭りがある。この場所で花火の音を聞いたことは過去にも何度かある。今日の花火の音は明らかにいつもより大きい。打合せを中断して道路へ出た。音のなっているほうを見ると、かなり近い場所で花火が上がっている。平日のなんでもない日に花火が上がっているのは初めて見た。普段打ち上げの場所に使われる中州の方へ行った。道には花火の音を聞いて外へ出てきた人たちが何人かいて、みんな音のなるほうへと歩いていた。川の反対側から見ているといつもより近い場所で打ち上げているのわが分かる。マンションにはベランダで見ている人影がある。あそこから見れたら気持ちいいだろうなと思った。花火が終わると拍手とともにみんなその場から解散していった。どこかの会社の周年記念で打ち上げられた花火らしい。今年は祭りが開催されないからこれが最初で最後の花火かもしれない。そのまま打合せ場所へ戻り話し合いを進めた。

2021.06.13

 晴れ

 昨日復興バーに設置した作品の撤収をして、はるひとART DRUG CENTERへ行く。有馬さんのペイントが書かれた服をもらいに行った。ついでに色々と話して4時くらいに平屋へ帰った。はるひはお父さんと買いもへいった。今週中にはクラウドファンディングをリリースする予定。明日はバイトの面接がある。面接の前に金髪になっている毛先を黒染めしないといけない。受かるだろうか。

2021.06.12

晴れ

 今日は平野君が企画した復興バーとのコラボ企画があった。平野君にお願いされていたので写真と映像の作品を設置しにいった。久々に外でお酒を飲んだ気がする。天気も良かったので気持ちよかった。はるひも楽しそうだった。想像していたよりも人が多く来ていた。今回はゼロ回目としてテスト回だったが今後継続していくらしい。もっと工夫すればいいイベントになりそう。

2021.06.11

 快晴

 お昼ごろにキワマリ荘に行った。ミシオくんとちばさんと有馬さんで久々に長話をした。主に写真についての話で、有馬さんが最近写真の作品を作り始めていて、その写真を使った写真集を見せてもらいながらの話だった。ちばさんも今写真の作品を展示しているので、いつか写真の作品を作っている石巻の作家を取り上げた冊子を作りたいねという話になった。午後は郵便局に行ったり、助成金について調べたりと事務的な作業が多かった。天気がいいし風がちょうどよく吹いている一日だった。

2021.06.10

 快晴

 石巻で一度会った遠藤薫さんという作家の方がいつだったか忘れたが、「切実」という言葉の意味を辞書で引いてTwitterに呟いていた。多分、「極めて適切なさま」と書かれていた気がする。とてもいい。切実という言葉から伝わる必死さや実存をかけた戦いのようなイメージが喚起されない。ただ適当に生きているように見えたり、苦もないように見えたとしても切実さはある。それぞれが切実さをもっている。窮地に追いやられるといった暗さがなくていい。自分の中の切実さを感じ取れればいい。極めて適切なさまを。

 最近メッセンジャー(Facebook)で過去に交わしたはずのメッセージの通知が来る。しばらく連絡など取っていなかった人からの通知だと結構ドキッとしてしまう。これはバグなのかもしれないが不思議な気持ちになる。昨日はこらから始めるバイトを探しているときに、過去にバイトの誘いをくれた人の2018年頃のメッセージ(バイトをしないかというメッセージ)が通知された。ただの偶然だけど。

2021.06.09

快晴

 今日は殻付きウニの物撮りの仕事があった。朝彼女と事務所へ車で向かう。助手席に差し込む陽射しが暑い。黒色のズボンの表面の温度が上がっていく。フロントドアをほぼ全開にする。途中薬局によっておにぎりとパンを買う。殻付きのウニだから生きていた。殻をむいて中のゴミを取り出してきれいにする。ウニは色素が強く指先が紫色になる。殻をむいてからすぐに撮影をしないとウニの棘が下がってきて見た目があまりよくない。そこが難しかった。撮影が終わり使ったウニをうに丼にしてお昼ご飯を食べる。アパートに帰り市役所へ向かい住民票の住所をキワマリ荘横の平屋に変えた。ついでに保険証とマイナンバーの住所も変える。帰宅してぼーっとしていると彼女が返ってくる。レモンサワーを一缶買ってきてくれたからそれを飲んで、事務所でもらったダシをご飯と一緒に食べて夕飯にした。

2021.06.08

 曇りのち雨

 午前中は季節の記憶を読んでいた。終盤の蝦乃木から送られてくる会社のビデオと中野の感想が良かった。この小説自体の話になっていた。ただ淡々と映していく、見ていく。何かをそこから読み取らせようとすることも、その背後を想像しようとすることもなく。12:30から雨が降ってきた。しばらくして打ち合わせがあるので家を出てIRORIへ向かった。阿部さんと30分くらい話して、巻組にお願いされたキワマリ荘に来るお客さんを案内して帰宅した。ポイントが残っていたので福尾匠の眼がスクリーンになるときを電子版で買って読み始めた。


そうやって一人一人がしゃべっているのを見ているうちに、僕は不意に、何と言ったらいいのか、蛇口から容器に水を汲んでいたらそれの容積が思いがけず小さくて、「あっ」と声を出すより早く水が溢れ出てしまったときのように、突然感動が溢れ出てきた。(1)

 

だらだらだらだら山もなく谷もなく際限もなくつづいているだけのビデオなのだが、こうやって一人一人を律義に映すというか記録していくのは家族や友達をホームビデをで映すのとは意味が違う。(2) 

 

生きたイメージにおいて作用と反作用は不釣り合いであり、したがって選択が行われ、予想不可能な厚みのある現在が構築される。(3) 

 


(1)保坂和志 季節の記憶 2015.11.30 11刷発行 中央公論新社 p353

(2)保坂和志 季節の記憶 2015.11.30 11刷発行 中央公論新社 p354

(3)福尾匠 眼がスクリーンになるとき:ゼロから読むドゥルーズ『シネマ』 2018.07.25 フィルムアート社

2021.06.07

 晴れ

 天気が良くて今年に入って一番熱いような気がする。少し自転車をこぐだけで額に汗がにじんでくる。午前中はクラウドファンディングの説明動画をみながら申請に何が必要なのかを調べていた。午後はイトナブと事務所へ行き映像の編集に必要なデータをデスクトップパソコンに移す作業をした。16時ごろから志村さんとちばさんと一緒にCocosで助成金についてや今後キワマリ荘でどんな活動をしていくのかを話し合った。ちばさんの被災した実家を改装してギャラリーにする案や平屋を宿泊できるスペースにする案が出ていた。僕は思想家や小説家をレジデンスで呼びたい。無理をせず地道に活動を続けていく事が一番いいと思う。

2021.06.06

 晴れ

 9時ごろに目を覚ます。彼女がコンビニでパンを買ってきてくれた。朝食を食べてシャワーを浴びる。紅茶を飲みながら保坂和志の季節の記憶を読む。しばらく読んでから部屋の掃除をする。掃除機をかけてから布団についた猫の毛をとる。洗濯機を回して洗濯物を干す。彼女は幸楽苑にラーメンを食べに行った。僕はお米を炊いてお昼ご飯を食べる。午後は明日志村さんに渡す映像の編集をしていた。夕方に彼女と散歩へ行った。ついでにTSUTAYAとスーパーへ行く。帰宅して買ってきた激辛の焼きそばを食べた。想像していたよりも辛く発汗がすごかった。

2021.06.05

晴れ

 昨日は雨だったが今日は晴れで、いい天気だった。お昼前に家を出てまちの本棚に彼女といったがイベントがあるのかいつもより開館時間が遅かったので、萬画館の漫画が読めるコーナーに行って暇をつぶしていた。一時間ぐらいしてからまちの本棚へ行き、彼女は本を借りていた。その後石巻駅近くの注受というラーメン屋に行った。特別な工夫をこらしたラーメンではなく、とても素朴なラーメンだ。普段通う店としてはこれくらいの店のほうが通いやすい。ここのラーメンとチャーハンはおいしい。そのあとART DRUG CENTERへ行った。有馬さんからZINEのイベントに出す冊子を受け取り、有馬さんの試作の写真集について少し話をした。しばらくしてからミッチーが来て、久々に会ったので現状を報告し合いながら、15時ごろまで話し解散した。夕方のギャラリーが閉まる時間に平野君と花田さんが合流して新漁港に釣りへ行った。潮の状態があまり良くなかったのか、小さめのメバルしかつれなかった。渡波まで行ってみることにしたが寒さで断念。僕と彼女は先に変えることにして、平野君と花田さんと現地解散した。帰宅後は疲れてしまいそのまま眠ってしまった。 

2021.06.04

 雨

 今日は桃浦にある荻浜小学校の清掃をしてきた。普段はほぼ誰も使っていない廃校で中に入ると中身がスカスカになった虫の死骸が大量にある。周りが木で囲まれた場所だから虫の量も多いのだろう。かなり強い雨が降っていて山には白い蒸気が立ち込めていた。建物の中は湿った空気と埃の匂いが充満していた。ほうきで履いていくと外から入ってきた砂が多いことに気が付く。建物の隙間からはいってきたのだろう。プレハブのような建物の床も掃除したが床材が腐っているのか、歩いていると凹んだり、みしみしと音が鳴る。体育館は埃をかぶっていたがまだ使えそうな雰囲気だった。校舎は三階建てで、屋上に上がることができる。流しの周りに30匹くらいのカメムシの死骸がからからになって落ちていた。これは一度にこの量のカメムシがここで死んだのか、それとも少しづつ同じ場所でカメムシが死んでいったのか気になった。まだ6月で生きている虫はそれほど多くはなかったが、夏になったらひどいだろうと思ったし、自分がこの小学校に通っていたら、この量の虫たちと日々生活を共にするのかと考えてしまい、正直この学校に通うことにならなくてよかった思った。掃除は予定していた時刻よりも早く終わり、早めの解散になった。家に着くと彼女が自宅で仕事をしていた。雨がひどくて道路が水没する前に帰ってきたらしい。自分は久々の肉体労働でしばらくするとそのまま寝てしまった。21時ごろに目がさめてシャワーを浴びて夕飯をたべ紅茶を飲んだ。

2021.06.03

 晴れ

 今日は神社の清掃のバイトへ行ってきた。展示会場として使われる神社で、普段あまり清掃などの手入れがされていない。そのせいか、水でぬれると石階段が非常に滑りやすい。高圧洗浄機とブラシでこすり、ぬめりと汚れを落としていく。階段がとても長く、一番上までホースが届かない。三分の二くらい上った場所から清掃をはじめた。一段一段やっていくので思ったより時間がかかり午前からはじめてた作業が17時になっても終わらなかった。久々に身体を動かしたので疲れたが、心地よい疲労感だった。

2021.06.02

 快晴

 今日も天気がいい。彼女は朝起きてすぐに仕事へ出かけていたった。起きてからシャワーを浴びて部屋を少しだけかたずけて、洗濯機を回す。天気がいいからすぐ乾きそうだ。梅雨は終わったのだろうか。トーストを焼いて、コーヒーを淹れる。朝食か昼食かわからない時間になってしまった。クッキーも一緒に食べる。食べ終わるころには洗濯物が終わっていた。洗濯物を干して平屋へ向かう。富松さんが個展の準備をしていた。流木で作った鹿の彫刻を二頭並べていた。平屋での用事をすませてアパートに帰宅する。しばらくして彼女が帰宅してくる。猫は車のエンジンが聞こえるといつも帰ってきたことを感じて起き上がる。猫にも車のエンジン音は識別できるらしい。お風呂の掃除をして夕飯を食べて、ハイボールを飲む。

2021.06.01

快晴

 気持ちがいい天気だ。半袖だと少し肌寒いがそれがちょうどいい。洗濯した洗濯物を干す。昨日から遠くで草刈り機の音が鳴っている。多分公園とか空き地の草を刈っているのだろう。切られたばかりの草のむわっとした匂いがいつもこの季節の空き地や公園からはしてくる。火曜日は燃えるゴミの日だから忘れてしまう前にごみを出しに行く。お昼ごろに彼女が父親の病院への付き添いから帰ってくる。歩いて数分の場所にあるガストへ行きお昼ご飯を食べる。コーンの沢山乗っているピザとガパオライスを食べていた。ビールとレモンサワーを頼んで飲む。天気が良かったので、この時間から飲むのは気持ちが良かった。帰宅して、家で少し休み、散歩へ出かけた。旧北上川の河口にある中州へ行った。風が少し冷たかった。帰り際、川沿いで釣りをしている平野君を見つけたので、平屋から釣り竿を二本持ってきて一緒に夜まで釣りをした。彼女は網で餌をとり、針に付けてハゼをつっていた。帰りは焼き鳥屋によって少しだけ飲んでから帰った。肌寒さがちょうどいい。家についてからは歯を磨いてそのまま二人とも寝てしまった。

2021.05.27

 雨

 8:00に起床。彼女が先に事務所へ出社する。昨日の夕飯で作ったホヤの炊き込みご飯を食べる。12:00過ぎに彼女が迎えに来て自分も事務所へ向かう。事務所は港に近く、雨の日は磯の匂いがする。今日は物撮りの予定なので、撮影の準備をする。商品が届いて撮影を済ませる。帰宅してお昼ご飯を食べる。

2021.05.24

 晴れ

 文体は無ければ無い方がいいと思っている。というか、文体とあえて呼ぶべきものがあるとすれば、それは自分の文章に出てしまっている凝りのようなものを引いて引いた先に残ってしまうものだと思う。(1)

「少し重たい風に吹かれながら喫茶店に向かった」という文より「少し重たい風が吹いていた」と書いて次の文ではもう喫茶店にいる方がずっといい。風に吹かれながら歩いている自分を書くのではなく、風を書いたら歩くことが自動的に出てくるような書き方が理想だ。 (2)

とても共感する。「少し重たい風が吹いていた」 と書かれた小説のほうがきっと読んでいて心地がいい。それは想像しただけわかる。


(1)(2)http://tfukuo.com/2021/05/24/210523/

2021.05.23

 曇り

 8:30に目が覚める。歯を磨いてファミマにパンとコーヒーを買いに行く。昨日企画展のテキストが書きあがった。平野君とちばさんとミシオ君には見てもらった。みんなこれで問題ないと言っていた。企画展はやったことがないので不安が大きい。

2021.05.20

晴れ 

 7:00に目が覚める。歯を磨いて洗濯機を回す。ファミマで朝食を買い8:30に事務所に向かう。今日は10:00から食品の物撮りがあったので、その準備と撮影をした。雲丹の撮影だった。雲丹は個体差で味の複雑さが微妙に違い発見だった。基本的にはウニの主食である海藻の香りがひろがる。帰宅後、洗濯物を干す。1回ですべて洗濯できなかったので、もう一度洗濯機を回して、その間に部屋の掃除をする。8月頃を予定している企画展は「手つかずの庭」というタイトルになりそうな気がしている。手の行き届いた庭がキュレーションされた庭だとするなら、手つかずの庭はキュレーションによって結ばれた像が解かれ雑然とした形になっている状態。それをいかに肯定できるだろうか。

2021.05.17

 曇り

 8:30に起床。企画書について考える。どんな企画を考えたいのかではなくもっと具体的なことを考えないといけないのではないか。そのなかで、遡行的に企画がまとまってきそうな気がしてはいる。キューレーションは星空のなかから特定の星を選び、線で結びひとつの星座(像)を作ることだと思う。しかし、この街で作られてきた像がすでに多くある。震災をめぐる像、復興、分断、自然、環境問題、当事者性、未来への希望。そういった像は10年の時の流れの中で硬直化しいる。この街で何かをやる以上その像に還元されることを免れることはなかなか難しい。だからこそ、別の像を描くことで連結項を発明しなければいけない。じゃあどんな連結項を発明するのか。目の前にあることほど気が付くことができないのだとしたら、いま何に気が付くことができないのか。今何が目の前にあるのか。展覧会はおそらくキワマリ荘、ADC、THE ROOMERS' GARDENを会場に行われる。キワマリ荘は俺の作品、ちばふみ枝さんの写真作品、SoftRibのニップニップ日記の映像作品、富松さんの流木の彫刻(まだここが不確定)になると思う。ADCはキラギロ、大槌さん、後藤さん、金澤さん、有馬さん、守さんになるのだろう。THE ROOMERS' GARDENは平野君は自分の作品を出すとして、他に誰を呼ぶかは不確定。このメンバーでどんな展覧会を作りたいのか。ここで何を見せたいのか。別々の環境があることが多様性を生む。環境が統一化されている時代。ごつごつしていて、ごろっとしたまま散らばっている。散らばった石。道端に唐突に置かれた花壇の中で育つ統一感のない草花。ごろっとしているな。忘れられた庭。庭という言葉が便利すぎる気がしている。何かを語った気分になってしまう。手垢がついている。

2021.05.14

晴れ、時々曇り

 今日は気温が少し高く、薄手のワイシャツでも少しだけ汗ばむ一日だった。朝8時に目覚めて、そのままシャワーを浴びた。彼女は事務所に向かい、僕は映像作品の起動やそれぞれのスペースの掃除をしにギャラリーへ自転車で向かう。看板を歩道沿いに出す。窓を開けて、入り口をほうきで掃く。なかの床を掃除する。暖かくなってきて窓を開け放しておくと虫が飛んで入ってくるようになってきてしまった。網戸をどうにかしてつけないといけない。風通しのいい空間だから、何も遮るものがない窓から風が流れ込んでくるのはとても気持ちがいい。店番をしている子にあとは任せて一旦家へ帰宅。ドトールへ行きアイスコーヒーLを飲む。展覧会の企画に行き詰っているから考えを進めようとしたがなかなか進まない...。

2021.05.13

 晴れ

 いつもより遅めの起床。ファミリーマートで彼女がスパイシーチキンとバンズとコーヒーを買ってきてくれる。昨日から有馬さんにお願いされたDVDのデータをMP4へ変換する作業をやっている。有馬さんが1990年代に撮影した映像。自分が運営しているギャラリーとそこへ集まる人々との日常。多分VHSとかで撮られている。わけのわからないことをやっているが、それが楽しそうだった。庭になっている柑橘系の果物を汚れた手で皮をむき、「いい匂いだよ!」「食べれるのかわからない!」と言いながらその場で食べている。木の周りにはなぜか畳が3枚投げ捨てられていて水分を吸いとって湿っている。今の自分の身の回りの出来事を映像で残しておくこと、それもSNSにあげるようなものではない、そんな映像を撮影しておくのはいいかもしれないと少し思えた。尺は短くない、Vlogみたいに過度な編集もない、映えるようなものをあえて撮ったようなものでもない、ただあほらしいことを撮る。何のために撮っているかわからないようなものを残す。それを20年後に見返してみたい。そう思えた。

2021.05.12

晴れ

 この間大槌さんと根本さんたちと久々にお酒を飲んだ。松ばるに行って刺身やあおさとホヤの天ぷらを食べたがとても美味しかった。ホヤは臭みも嫌な苦みもなくなっていて食べやすかった。 そのあとはキワマリ荘の隣にある平屋でコンビニで買ったお酒を飲んだ。大槌さんがキュレーターではなくプランナーと言っていて(多分そう言っていた)自分はなんとなくそれがいいなと思った。キュレーターが良いキュレーションをすればするほど結ばれる像が強くなり他の像を描きずらくなる。それがいいことなのかどうか。おそらく良さと悪さの両面。どちらをとるか。Curationは「特定の視点を持って収集、選別、編集することで新しい価値を持たせ、それを共有することを意味する言葉」という意味らしい。プランナーは「企画係。立案者。設計者。」という意味。「収集、選別、編集」と「企画、立案、設計」の違い。設計者がいい気がするな。家を建てるような感じ。でもどうだろう。それはキュレーションと違うのだろうか。命題は現実の像、現実の模型。自分は言語の人間なのかなと最近思う。人が制作したものに初めて感動したのはアンドレ・ジッドの「狭き門」を読んでいるときに、物語の内容というよりは言葉のリズムによって、読んでいるのかどうなのかわからなくなり、最終的に目の前が白く光った。高校生の頃Java言語を勉強していた延長線上でProseccingをつかってプログラミング言語からイメージを作り出す遊びをしていたことが自分が制作を始めるきっかになっている。

2021.05.11

 快晴

 6:30に目を覚ます。昨日は二日酔いで一日中気だるい感じだったかが今日はかなりましになった。そろそろ企画する展覧会のタイトルや文章を書き上げなくてはいけない。「分断」が当初テーマとして浮上していたが、「分断」という言葉の強さにあまり気持ちが乗らない。別にすべての作家が「分断」をテーマにしているわけではない。その言葉を使った瞬間にこぼれ落ちてしまうもののほうが、この言葉を使うことの必要性より大切な気がしている。だからもっとほかの言葉を探す。たとえば/(斜線)とか線をイメージさせる違う言葉へと言い換えていく。だが/(斜線)もいまいちピンときていない。確かにこの街にはたくさんの分断がある。震災 / 復興、過去 / 未来、生 / 死、人 / 自然、記憶 / 忘却、私的 / 公的、地元/よそ者。あらゆる場所に/が引かれている。しかし、ひとは生まれた時から/を別々に持ち運びながら生きている。他者に近づき別のあり方を目撃することは、別の可能性を目撃することなのではないか。ならば差異があること自体が悪いことではない。それはショックでもある。今は不意に誰かと出会うことを避ける時代になった。アクシデントを避ける時代。街は無臭化していく。海から漂う磯の匂いは、隔てられた海との距離を不意に記憶の中で近づける。橘(たちばな)やいつの野中のほととぎす」。宮地尚子は「トラウマに触れる」で嗅覚はトラウマを引き起こすトリガーになりやすいと言っていた。味覚は対象を取り込み境界線を曖昧にさせる。距離を狂わせ、輪郭を曖昧にさせる嗅覚と味覚。口と鼻を隠し続ける人々。

2021.05.06

 快晴

 朝七時に起きて病院へ向かう。指の骨折を治すために刺していた針金を三本抜いた。部分麻酔はすでに何回か経験していたが今日のが一番痛かった気がする。麻酔が効き始めると指が太く感じる。多分触っても、触られている側の指が何も感じないせいでサイズ感が分からなくなっている。手術室を出て着替えを済ませ会計をしてバスで帰宅した。家に着くと猫が足元で餌と水をくれと言ってくる。普段はシーバをあげているが、売っていなくて代わりに銀のスプーンをあげている。味が気に入らないらしい。いい天気だからどこかへ行きたい気もするけど面倒になってコンビニでカップ焼きそばとノンアルのビールを買う。術後でアルコールが飲めないのでノンアルで我慢する。久々に指が曲がったので逆に違和感を覚えて気持ちが悪かった。

2021.05.04

晴れ 

 1日中暖かい風が吹いていたので窓を開けっぱなしにしていた。朝は6時に起きたが猫と二度寝をしていたら11時になっていた。今日は何もしなくていいかなと思い家にこもっていた。午後に起きて洗濯機を回した。少しめんどくさくて干すまでに時間がかかった。夕方にコンビニへ行ってビールを買って涼みながら飲む。こんな日があってもいいなと思う。

2021.05.03

晴れ、風が強い

 風の中に少し生暖かさが混ざっている。平野君が今日からオープンしたギャラリーへ行った。いつもの顔なじみがたむろしてスペースや作品について語っている。風が強いせいか古い建物のどこからか隙間風が吹いてくる。誰かから息を吹きかけられたようで一瞬ドキリとする。

 住んでいる街は復興予算をつかいながら新しい道と建物を作り続け、風景を変えている。復興は未来へと向かい進んでいくが、思い出は過去に取り残されている。街を歩いているとそんな過去と未来へ引き裂かれるよな感覚を覚える。

2021.04.29

 雨

 目が覚めると雨が降っていてベランダに干したままの服を部屋へ入れようと思いつつぼーっとしていた。しばらくベットの上でスマホをいじってから起き上がり洗濯物を部屋へ入れる。猫が餌を催促してくるので、キャットフードと水を容器にいれてやる。雨が強くて外出する気が起きなかったので自宅で仕事をする。16時頃ホームセンターで看板の脚をつくるための木材を買う。購入した木材に保護用の塗料を塗って今日の作業は終了。コンビニで夕飯を買って食べる。

2021.04.28

晴れ

 最近は風の冷たい日が続いたが今日は暖かな一日だった。日中はドトールで仕事用のチラシを作っていた。TSUTAYAと一体型のドトールで本や雑誌を1冊持ち込めるし近所なのでよく使っている。平日は近所のおばさんやおじさんが集う場所になっていて、2,3人組でテレビニュースや近所で起こった出来事を話している。年配の女性がマルチ商法の勧誘のようなことをやっているときもある。日が暮れてからは近所の居酒屋へ久々にいった。お通しの量が多すぎて飲み物以外のものを注文する必要がないしかなり安上がりで飲める。時短営業だったので早めに切り上げて帰宅。そのまま就寝。 

2021.04.23

 快晴、少し肌寒い

 七時半ごろに起きる。今日も猫が餌の時間になるとベットに乗ってきた。午前中、注文していたスポットライトが届く予定だったのでキワマリ荘に早めに向かい掃除なんかをしていた。届いたスポットライトを設置してしばらくすると有馬さんが来たので、個展の作品について少しだけ話す。設置された映像の中に文字があると空間に方向性が生まれるという話をした。映像に使われている詩は別に展示するのもありかもしれない。そうすれば全体的に純度は高くなる気がする。すべてこれ以上引けない状態。ただ、純度だけを求めるのもなにか違う気がするのでしばらくこのままにして反応を見ながら今後の展開について考えようと思う。


残念ながら一部のフェミニストから私は「敵」扱いされています。というのも、4B運動の中でも特に主張がラディカルな人達は、トランスジェンダー女性や異性愛女性の排除にまで進んでいることがあるんです。私のように、男性パートナーがいてトランスジェンダーの友人がいる人は、SNSで攻撃されます。結婚はしてないんですが、「既婚者だ」と誤解されて中傷されることすらあります。これは何もフェミニスト間の話ではなく、社会のいろいろな物事に関して、意見が分断されてしまっているからだなと思います。自分が聞きたいことを話す人だけをフォローする傾向も強いです。  (1)

ブロックもしないけど、反応もしないです。自分と違う立場の人にも、過去に個人的なつらい経験があってそういう考えにならざるを得なかったのかもしれない。でもインターネットだと個人が押しやられて「集団」的に捉えられてしまう。難しいですよね。どんな立場の人からも、私は「はっきりしない人」だといつも怒られます。「あなたは力にならない」とも「あなたは甘い」とも言われる。いつになってもはっきりすることはないと思う。それでも私はまだ、いろいろな「集団」のなかの1人ひとりの人生を想像してみる時間を持ちたい。(2)

 

 どっちつかずの態度表明は無責任なのか、それは立場を表明する責任からのがれている甘えなのか。それはずっと考えている。 

 


(1)(2) Lang Lee 「イ・ランが語る、アーティストの「仕事」と断る「仕事」2021.02.28 https://tokion.jp/2021/02/28/lang-lee-takes-or-turns-down/

2021.04.21

 快晴、風が少し肌寒い

 朝、7時30分ごろに目覚ましが鳴って起きる。起きてからしばらくは身体を起こして何も考えずに近寄ってくる猫を撫でていた。今日は一日快晴で朝の陽射しもいつもより少し強い気がした。目が覚めてきたので洗面台まで行き歯を磨いて、猫に餌をやる。猫はいつも大体同じ時間に餌を要求して鳴いている。彼女はまだ寝ていたが朝食のエッグマフィンを作る。マフィン用のパンにスライスチーズをのせてトーストして、卵とベーコンを焼く。焼きあがったらパンの上にマーガリンを塗って、卵とベーコンをのせ塩コショウを少しだけかける。朝食を作っていると彼女がちょうど目を覚ます。出来上がったエッグマフィンを一緒に食べ、彼女は仕事へ行く支度をして出かけて行った。

 午前中は自分のサイトの情報を更新する作業をしていた。データをアップロードして、文字や画像を整頓していく。あまり融通が利かないサービスを使っているので面倒だが使うのをやめる気にもならないのでしばらくはこのサイトを使うと思う。

 お昼は近くのあいのやというスーパーでエビフライ弁当を買った。風が少し冷たくて長袖一枚だと寒かった。帰宅すると猫が自分のご飯を要求していたので、キャットフードと水を与える。お昼を食べ終わり、午後からは個展会場で使えそうなスポットライトをネットで探した。程よいものがなくて、どれを買うべきかなかなか決めかねている。しばらくしてコーヒーが飲みたくなってきたのでファミリーマートでモカブレンドを頼む。帰ってきてからは保坂和志の季節の記憶を読んだ。16時にはるひが仕事から帰宅。しばらくだらだらしているとコンビニへ行こうといわれたのでまたファミリーマートへ行った。スパイシーチキンと缶ビールを買って帰宅。

 サイトの準備ができたのでFacebookに仕事の依頼を受け付けていると投稿してみたがあまり反応がない。まあそんなもんだろうと思っていたのでいいのだが。

2021.04.11

快晴

 7時に起床。 9時からともみさんと女川でホタテ漁の撮影。おひるは久々に雲雀に行ってきた。事務所へ戻る途中にあるコーヒーショップでスペシャルティコーヒーを飲んだ。普段飲んでいるコーヒーよりも香りが複雑で雑味がない感じだった。事務所に戻り物撮りをして帰宅。

2021.04.11

快晴

 7時に起床。はるひに日赤病院へ送ってもらい診察をうける。指の状態は悪くなさそう。その後、実家へ行き55インチのディスプレイをキワマリ荘まで運ぶ。展示に必要な機材をAmazonで注文する。アートはいスクールの映像を編集して24時に帰宅。

2021.04.10

 晴れ

 9時に起床。部屋の掃除と洗濯ものをする。シャワーを浴びてコンビニでサンドイッチとコーヒーを買い朝食をとる。バスで実家に行き周辺の風景を少し撮影してきた。車で平屋まで送ってもらいコンビニで夕飯を買いアパートに帰宅。

2021.04.09

 晴れ、少し肌寒い

 9時に起床。歯を磨いて猫のトイレを掃除する。ごみをまとめて燃えるごみを出す。ドトールに行ってツイッター哲学を少し読んだ。そのあとインモール蛇田のJINZでメガネのレンズ交換をしてもらった。保証期間内だったので無料。スタバでフラペチーノを購入する。実家に少しより以前届いていたポール・ヴァレリーの本を受け取り、マックのドライブスルーでポテトとビックマックとコーヒーを買う。ガソリンスタンドへ行き車を洗浄する。その後帰宅。三浦哲哉×小松理虔×速水健朗「シン・フード論――『おいしい』から社会を考える」がシラスでやっていたので視聴。

2021.04.08

 快晴

 「かみのたね」というフィルム・アート社のウェブマガジンを見つけた。そのなかの「諏訪敦彦×ロバート・クレイマー対談 コントロールの外側にある協働」を読んだ。


 私は、自分たちのためにどうしても解かなければならない結び目(問題)があったから、映画を作ったのだと感じられる作品が好きです。より多くの金が欲しいからでもなく、有名になりたいからでもなく、映画史のことを勉強したからというのでもなく、まずは自分のためにその結び目を解かなければならないと感じられる作品。だからあなたは自分の主観を恐れる必要はありません。「私の問題に一体誰が関心を持ってくれるだろう?」と考える必要はないのです。私はこう考えます。もし自分の問題をはっきり理解することができれば、その作品は他の人々の関心を引きます。なぜなら全ての人が問題を抱えて生きているからです。われわれは孤独ではないのです。このクソまみれの世界の中で。(1)

 

 マクロな目線で見れば自分は石巻市出身で震災当時石巻市の中学校に通っていたので、震災の当事者という位置づけになる。ミクロな目線で見ると石巻でも内陸のほうで、周りは住宅しかない住宅地に住んでいた。震災の被害も津波の影響を受けた人に比べればかなり軽いものだった。だから、自分よりもっとひどい状況の人々と比べれば当事者性はかなり低い気がしている(被害の大きさで比べればだが)。当事者でも非当事者でもない、そういうグラデーションの中間にいるような人達は沢山いるんじゃないか。そういう中途半端な立ち位置を考えながら生きている。

 住宅地にするためにできた土地で周りは家と空き地だけ、そんな文化的土壌のない場所で生きてきた。そんな自分が現代美術といううジャンルに関わること、そことの距離感を考えている。

 中途半端な位置づけからくる中途半端な距離。海と陸の中間、波打ち際で佇んでいる。そういった光景が思い浮かぶ。偶然打ち上げられた漂流物を拾いながら何かを形づくっている。

 属性ではなく、向き合ってきた時間を考える。時間とともに変化し続けていく。ジェンダーも固定されたものではない。当事者か非当事者かも固定されていない。出身地は変えられない、その引力から解放されるために時間を考える。場所から時間へ。分断は存在するが境界線は時間とともに消滅と生成を繰り返す。

 https://libraryofbabel.info/なんのサイトかわからないけど気になるので後で調べる。

(1)諏訪敦彦、ロバート・クレイマー「諏訪敦彦×ロバート・クレイマー対談 コントロールの外側にある協働」2020.02.17 http://www.kaminotane.com/2020/02/17/8804/ 


今日聴いていた音楽。阿部芙蓉美いいな。

2021.04.07

晴れ

 7時に起床。朝食を食べて、処方された薬を飲む。2日前くらいに2回目の指の手術をした、針金を1本だけ入れなおす簡単な手術だったが、術後の痛みがひどくしばらく何もできなかった。術後はカロナール500mg×4、セレコックス100mg×5ぐらい飲んだがまったく効かなくて大変だった。手術前に以前の手術と術後の痛みは同等と考えたほうがいいですか?と医師に質問したが、そんなことはないと思うよという感じの回答が返ってきた。内心では針金を突き刺すわけだから痛くないはずがないよなと思いながらも、安心させるために気を使ったのかなと考えながら手術を受けた。実際、術後の痛みは以前よりひどかったので、自分の場合は痛いですとはっきりいっといてくれたほうが安心する。身体を動かすと心臓の鼓動に合わせて傷が痛むのでここ数日は家にこもっている。

 個展用のチラシを作った。まだ未完成。手術室にあったレントゲン用のモニターの文字配列がよかったので真似てみた。



2021.04.03

 晴れ

 7時に起床。朝食を食べて病院へ行く。骨がずれてきているようで、針金を一本入れなおす必要があるらしい。来週の月曜日に手術をする。診察が終わり、はるひに家まで送ってもらう。多和田葉子の「エクスフォニー 母語の外へ出る旅」を読む。午後にはるひと日和山に花見に行った。昔からある売店に初めて入って、ラーメンを食べた。見た目はシンプルだったが独特な甘みのあるラーメンだった。まずくはなかった。帰宅したあと南浜に水平線を撮影しに行く。街中ではるひと合流し帰宅。




2021.04.02

 晴れ

「偶然の波打ちぎわ」

境界線を 

偶然と必然  

そう言い換える 

狭間  

曖昧な現在地で 

宙吊りの身体 

波打ち際 

砂地に足裏をのせる 

海水の冷たさ 

陸と海の中間 

なにものでもなく 

いくつもの集合体 

それを受け入れる 

高台と 

島のあいだの往復 

近づくことを

離れることを 

繰り返し 

暫定的に 

船の形を変えていく 

水平線は 

消えることなく 

繰り返される 

指先から 

血液を伝い 

波打つ心臓

内側の触覚 

マイナスの距離 

困惑して 

佇む姿を 

眺めている 

想像の外側 

深さで 

覆われた 

環状島の内側で 

腰を下ろし 

吹き抜ける風が 

上昇する 

流れ続けていた雲が

知っていることを 

読み取るための空白

ここから先は立ち入れないと 

すれ違う誰かが言っていた 

その響きが

充満する 

霧 

遠くから運ばれた匂いが 

脳と触れ合い 

葉が光をあびて 

風ではためく 

光景を 

100年後 

地中から 

掘り起こす 

手についた 

土から漂う 

時の香りを 

手繰り寄せ 

誰かのためにではなく 

自らのためにでもなく 

なにも捧げない 

その気持ちを 

保ち続ける 

2021.04.01

 晴れ、昨日より少し肌寒い


 あらゆる証言が代弁としての機能をもっている。つまり「すべての証言者は代弁者である」こと。ただ代弁であることはその証言の価値を下げないし、証言はそれ自体として尊重されるべきものであること。被害者の声が言葉になるかならないかの領域、つまり、〈内海〉の〈波打ち際〉で起きていることが重要であり、支援のもつ意義の一つは〈内海〉から証言者を〈陸地〉に引き上げることにあること。(1)


(1)宮地 尚子 環状島=トラウマの地政学 2018.07.05 みすず書房 p16-p17

2021.03.31

晴れ、とても暖かい

 ドトールで宮地尚子の環状島=トラウマの地政学を読んでいた。編集用のPCを自作PCにするか考えている。次購入するカメラとしてsigma fp lとSIGMA 24-70mm F2.8 DGDN Artがいいかなと思っている。なんとなく黒嵜想、大和田俊、福尾匠のペリスコ配信を観た。ペリスコというサービスを初めて使った。使いやすそうだったが今日でサービスは終わりらしい。手術した指に針金が刺さって突き出しているので、指先に何か触れると表面的な感覚と針金を伝って内側の感覚がどうじにやってきて変な感覚。これがあと1か月続くのか。


 「それよりも中空構造を直視し、この問題に巻き込まれながらも発言しない・できないでいる人たちがいるのではないか」「この問題はどのような広がりのどのような高さの環状島を形成しているのか」「この環状島のどこに位置して、どのような発言をしている(またはしていない)のか」「この人の発言は、環状島のどの範囲の人たちの存在にあてはまる内容か」「この人は環状島の他の場所にいる人たちの存在にどれくらい気付いているか」といった問いを立てることに、可能性が見いだせはしないだろうか。(1)


(1)宮地 尚子 環状島=トラウマの地政学 2018.07.05 みすず書房 p16

2021.03.29

 晴れ

 7時に起床。はるひが二日酔いでひどそうだったので、コンビニでポカリとヘパリーゼを買ってきてあげる。歯を磨く。荷物をまとめて平屋に行きデータの整理をする。夕方志村さんと打ち合わせをして帰宅。

2021.03.28

 曇りのち雨、少し肌寒い

 一昨日、指の手術をして、その痛みのせいもあって日記がなかなか書けなかった。手術は部分麻酔で行ったので、骨を触られている感覚や血がつたってくる感覚があり少し気持ち悪かった。麻酔は手術後数時間効いていたが、麻酔がきれてからは結構な痛みだった。病室は暇だったので、自分のサイトを作っていた。夜はあまり眠ることができなくてつらかった。次の日は痛みは少し引いていたがやはり痛かった。

 今日ははるひと牧場ラーメンを食べに行った。はじめて食べた。美味しかったが可もなく不可もなくという感じで、とびきり美味しいというわけではなかった。隣にあった蒸しパン屋で蒸しパンを3つ買い、山に行き帰宅。はるひに頼まれて安野モヨコの監督不行届きをツタヤに借りに行った。Tカードの有効期限が切れていて、身分証がなかったので一度家に戻り、また借りに行った。ついでに柳美里の「南相馬メドレー」を買った。帰りにスーパーでパンとクリームチーズとノンアルコールビールを買って帰宅。

https://hayatokano-official.blogspot.com/

新しい自分のサイト。

次の個展のタイトルは「偶然の波うちぎわ」になりそうなきがする。

2021.03.25

曇り

 9時に起床。歯を磨き、部屋の掃除をする。お風呂の掃除をして、シャワーを浴びる。コンビニでおにぎりとスパイシーチキンとモカブレンドを買いご飯を食べる。映画をみて、昨日注文した本が配達されたので受けとる。市役所で明日必要な証明書を発行してもらう。

 偶然の波打ちぎわにたつ。他者も自然も偶然に満ちている。他者は自分の思い通りにはならないし、自然は偶然そのもののように思える。そんな、どうする事もできないものと向かい合う、偶然の波打ちぎわに佇みながら、形を変えていく波線を眺め続ける時間、その時間こそが重要なのではないか。



2021.03.24

快晴、春の匂い

 8時に起床。部屋の掃除をして、ごみを出す。洗濯機をまわして、シャワーを浴びる。コンビニでスパイシーチキンとシーチキンサラダを買い朝食兼昼食をとる。ともみさんに提出する撮影料金の価格表案をつく作る。石巻工房のショールームへ行きコーヒーを飲む。帰宅してはるひはカラオケへいった。Amazonで宮地 尚子の「トラウマにふれる―心的外傷の身体論的転回」と「環状島=トラウマの地政学」を購入。あした届く予定。




2021.03.23

 晴れ

 7時に起床。外出の準備をして、8時にキワマリ荘へ向かう。案の定みしおくんは寝坊で30分遅刻。みしおくん、平野くん、SoftRibさんと秋田市にあるオルタナスに向かう。お昼ごろに到着し開催中の個展をみて、お茶をして解散。草薙さんなどの展示をみて、浜辺へとむかった。しばらく浜辺を散策し、スーパーで肉などを買い再びオルタナスへ向う。夜はオルタナスとその他のお客さんたちとご飯を食べ21時に秋田を出て26時頃に帰宅。アパートにつくとはるひが精神的にダウンしていた。ODをしたのかもしれない。その対応をして就寝。長い1日だった。








2021.03.22

 晴れ、風が強い

 7時半に起床。歯を磨き猫に餌をやる。パンと卵とハムを焼く。コーヒーを淹れ朝食をたべる。はるひは9時前に出社。自転車でセカンドストリートへ行き、thinkpad x260を買う。新しいmacが発表されるまではこのパソコンでしのぐつもり。平屋で購入したパソコンの状態を確認しセットアップを終わらせる。iroriへ行き昨日購入した本を読む。スーパーで食材を購入して17時に帰宅。洗濯機を回し、はるひの運転でコインランドリーの乾燥機をかけにいく。車内でちょうどやっていた庵野のプロフェショナルを見る。しばらくして帰宅。

2021.03.21


 10時頃起床。トーストと目玉焼きとソーセージを焼いて朝食。はるひとTSUTAYAに行き「語りえぬものを語る」を購入。セカンドストリートへ行きコーヒーメーカーとコップを購入。幸楽苑で昼食を食べる。帰宅して買った本を読む。



2021.03.20

 曇りのち雨、寒い1日だった

 8時に起床。ローソンでおにぎりを2つ買い朝食。9:30からyottaさんの金時を撮影。鮎川までいった。帰宅してイトナブのイベントに行こうとしていたら、ちょうどはるひがアパートにきたので一緒に車で送ってもらう。途中で震度6ほどの地震があり、津波警報もでたので、そのまま日和山まで避難。1時間経過後帰宅。本などが散らばる程度で大きな被害はなかった。

2021.03.19

 晴れ

 起床。歯を磨く。燃えるゴミを出す。コンビニでサンドイッチとコーヒーを買う。スーパーでハヤシライスの材料を買いお昼を作る。MKE440が実家に届いたので、はるひの運転でとりにいく。途中スターバックスのドライブスルーで飲み物を買う。14時からyottaの金時の撮影があった。19時頃に職質にあう。その後解放されて解散。こんびにで弁当とyonayonaを買い帰宅。

2021.03.18

晴れ 

 8時に起床。目玉焼きとハムとパンを焼きクリームチーズとメープルシロップをつけて食べる。昨日届いていた「指差すことができない」という詩集を読む。洗濯機を回し、洗濯物を干す。掃除機をかける。領収書の整理をする。「壁ぎわの記憶 -空間の物語-」という大崎清夏が行っている連載を見つけた。面白そうなので後で読んでみる。なんとなくLang Leeのインタビューを読んだ。


私はお金について日本の友達にも詳しく尋ねます。家賃がいくらか、ギャランティがいくらか。日本ではそういう話すると友達の仲でも“え……”って感じになっちゃいますね。でも、そういう話をしないと”頑張らなきゃね”ってだけで全部が曖昧になってしまう。韓国ではみんなではないけれど、私の周りの人たちはお金の話をよくしてる。みんなのお金事情がわかれば計算ができるから、解決する方法もみんなで考えられる。生活って具体的な問題だから、具体的に考えなきゃダメだと思う。私の友達には家具を作っている人がいて、必要なものを作ってくれたりする。それも、私たちが具体的な話をしているから、ただの想像じゃなくて私に何が必要か具体的に知ってくれているからできる。そんな形になるのが、お互いに役に立てて良い。(1)






(1)Lang Lee「韓国現代文学特集 : イ・ラン インタビュー “できるだけ具体的に話すこと」2019.03.01 https://www.neol.jp/culture/79566/

2021.03.17

 晴れ、風が強い

 8時に起床。歯を磨き、朝食のパンとベーコンと目玉焼きを焼く。はるひに日赤病院へ送ってもらう。診察を受け来週の金曜日に手術をすることが決まる。採決をされ、はるひとタリーズで合流する。マックのドライブスルーでエグチセットを頼んで帰宅。平屋へ行きたのまれていたイトナブ10周年へむけてのメッセージを撮る。帰宅して夕飯をたべ、撮影につかうmke440というマイクをAmazonで注文する。

2021.03.16

 曇り

 そこにたとえば風景論が成り立つ根拠がある。つまりそれぞれの個人なり、民族なりがさまざまの仕方で風景を〈身分け〉されている。それからまた、社会的風景というべきもの、つまり他者との関係があります。他者との関係のなかで自分の身が〈身分け〉される。そういう〈身分け〉の一つのケースとして、空間をとらえてみたいと思うわけです。(1)


 たとえば、生きられる空間にには〈場所〉というものがあり、〈方向〉というものがある。したがって空間それぞれの部分はお互いに異質です。ニュートンが考えたような絶対空間は、どこをとっても同じであるという意味で均質空間といえます。それに対して、われわれが生きている空間には、常にここがあり、あそこがある。そして、いつもここからあそこへと一つの展望(パースペクティブ)でもって世界をとらえています。ここ-あそこという場所性があり、ここからかなたへという一つの展望がある。そして展望のかなたには、また展望の背後には、とらえ得ない拡がりが拡がっていて、それをわれわれは地平と読んでいます。そういう意味では生きられる空間は無限空間ではなく、或る有限性をもった空間であり、奥行きのある空間です 。ここという場所性がなければ、隔たりというもの、距離というものはないといっていい。(2) 


 こことあそこ。大陸と島。つなぐ海。行き交う船。こことあそこでもない、どちらかではなく、近づき離れていくなかで身構える。思考する。その時間がすべて。 



(1)市川 浩 〈身〉の構造 身体論を超えて 講談社学術文庫 1993 p142-143

(2)市川 浩 〈身〉の構造 身体論を超えて 講談社学術文庫 1993 p144

2021.03.15

晴れ、風が少し強い

 7時に起床。歯を磨いて、洗濯物を干す。もう一度洗濯機を回し、残りの洗濯物を干し、コンビニへ行く。コーヒーとスパイシーチキンを買う。iroriへ行き身の構造を読む。はるひから電話があり、元気の湯に行きたいと言われたので、一緒に行くことにした。久々にサウナと露天風呂に入れて心地よかった。帰宅。昨日Amazonで注文した「狸の匣」、「美しいからだよ」、「する、されるユートピア」という3冊の詩集が届く予定だったが、配達とすれ違いで明日郵便局へ受け取りにいくことにした。

2021.03.14

 雨のち晴れ

 9時頃起床。はるひに車でおくってもらい11時過ぎにキワマリ荘へ行く。その後iroriへいき身の構造を読む。電車で塩竈に行き、塩竈市杉村惇美術館でかんのさゆり、菊池聡太朗、畠山直哉のクロストークを聴いた。時間の都合で途中退席して帰宅。キワマリ荘へ行きくるみさんに会う。みしおくん、平野くん、SoftRibさん、くるみさん、はるひで焼き肉を食べにいく。

2021.03.12

 晴れ、暖かい

 8時に起床。9時過ぎに志村さんが迎えに来て、山川さんの撮影の現場へ向かう。到着して機材の準備と軽い打ち合わせをして昼食をとる。さこさんが作ったカレーとはっと汁を食べる。3時まで待機し本番前のリハーサルを行う。一旦戻り小休憩。船乗り場に戻り本番の撮影。無事に終了。帰宅。はるひがお風呂を入れてくれていたので湯船に浸かる。

2021.03.11

 快晴、とても気持ちの良い天気

 7時半に起床。歯を磨き猫へ餌をやる。トーストと目玉焼きとベーコンを焼いて朝食をとる。東浩紀の突発放送のアーカイブ を見る。コンビニでフルーツミックスサンドとモカブレンドを買って昼食を取る。14:46、黙祷のサイレンが鳴る。1分間黙祷をする。平屋に行き、その後に整形外科に行って怪我をした指を見てもらう。骨が折れていたらしい。手術が必要な可能性が高い。


 この章で僕が最も伝えたいことを前もって書いてしまうと、地域のためとか、復興のためとか、家のためとか日本のためとか、そういうことは一切考えなくていい。あなたはあなただけの人生を堂々と歩むべきだ、それが地域とともに生きること、課題とともに生きることなんだ、ということです。 
 災害が起きたり、課題が深刻になると、「復興のため」だとか「地域のため」だとか、個人よりも大事な何かが生み出され、多くの人がそれに動員されていきます。日本の、特に課題だらけですから、こちらは、地方の再生のために命を投げ出すような動きが称賛されるかもしれません。けれど、そういうものはまやかしだと思っています。そんなもののために自分を犠牲にしないでください。大事なのはあなた自身です。どこまでも自分の関心や興味や、自分の課題や生きづらさから出発すればいいんです。それぞれが多様な自分だけの「復興の物語」や「地域創生の物語」を生きればいい。僕がこの章で言いたいことは実はそれだけだったりします。(1)


 地方で作品を作ることに、被災地という場所で作ることにどういった意味があるのか、そう問われたことがある。正直その問いに僕はピンときていなかった。そこで問われことに対して、誰かが納得できる回答を与えられたとして、どれだけの価値があるのか。

 復興のため、地域のため、そういう名目から逃れるために生きてきた。高校生の頃からこの言葉が持つ曖昧さに違和感を感じつづけてきた。もっと違う形で、この土地と関わりを持てるのではないかと思ってきた。自分がこの場所でやりたいと思えることにちゃんと向き合うこと、それが復興に似た何かなのではないかと高校生の僕は考えていた。


(1)小松理虔 地方を生きる 2021.01.10 ちくまブリマー新書 p173-174

2021.03.10

晴れ

 8時に起床。歯を磨き、猫に餌をやる。肉じゃがを温めて朝食をとる。ドトールへ行く。伊藤亜紗の「記憶する体」を少し読む。スーパーで朝食用のパンを買い帰宅。猫に餌をやり、平家の様子を見にいく。炬燵がつけっぱなしだった。みしおくんが消し忘れていたのだろう。帰宅して家の掃除と洗濯物を干し食器を洗う。夕飯にフランスパンのトーストとコンビニで買ったカニカママヨネーズ和えを食べビールを飲む。ヴァレリー 芸術と身体の哲学を読了。二周目に入る。


 いかにしてある出来事が体に刻まれるのか。刻まれた記憶はその体においていかに作動するのか。(1) 

 

 一方、本書が扱うのは、出来事としての記憶そのものではありません。特定の日付を持った出来事の記憶が、いかにして経験の蓄積のなかで熟し、日付のないローカルルールに変化していくか。
 つまり。この本で注目したいのは、記憶が日付を失う過程です。(2)

 

 健常者としての記憶が刻まれた体で、障害のある体を生きることが彼らの体が二つあるように見える原因です。「多重人格」ならぬ「多重身体」。一つの物理的な体の上で、健常者の体と障害者の体が重なり固有のパターンを作り出します。(3)

 

 暗算で行う場合、私たちは全てのプロセスを頭のなかに保持しつづけなければなりません。けれども筆算の場合には、大きな計算のプロセスを小さなプロセスに分け、書かれた文字に対して足したり掛けたりといった機械的な操作を行えばよいことになります。「書く」は「考える」を拡張する手段になるのです。(4) 

 

 重要なのは、吃音含めなんらかの障害を持った人間である、ということではないのではないか。そうではなく、そのような障害を抱えた体とともに生き、無数の工夫をつみかさね、その体を少しでも自分にとって居心地のいいものにしようと格闘してきた、その長時間の蓄積こそ、その人の体を、唯一無二の代えのきかない体にしているのではないか。 
 つまり、〇〇であるという「属性」ではなく、その体とともに過ごしてきた「時間」こそが、その人の身体的アイデンティティを作るのではないか。そう思うのです。(5)

 

 とても共感する。なぜなら石巻で生まれたという属性、被災者という属性ではなく、石巻という場所とともに生きてきた「時間」、震災という出来事に向き合った「時間」が重要であり、属性に縛られる必要はないのではないかと考えてきたからだ。以前作った作品も石巻で過ごしてきた「時間」をテーマにしている。それは石巻出身という属性を重視していなかったから生まれた作品だと考えている。 

 

 なぜなら、どんなに科学技術が発達したとしても、思い通りにならないことと、人為的に介入しうることの間で人類は悩み、そして発見し続けるだろうからです。条件は変わるだろうけれど、問いとしては同じ。それが体を持った者の宿命だからです。(6) 


 自然と人為の間で人は悩み、なにかを発見していく。それは普遍的な営みなのではないか。 



 




ラベルを階層表示できるように変更してみた。下記のサイトを参考にした。
CSSの追加位置は、下記のサイトを参考にした。
階層の開閉機能を無くしたい場合は下記のサイトのコメント欄が参考になる。



(1)伊藤亜紗 記憶する体 2019.09.18 春秋社 p9

(2)伊藤亜紗 記憶する体 2019.09.18 春秋社 p10

(3)伊藤亜紗 記憶する体 2019.09.18 春秋社 p12

(4)伊藤亜紗 記憶する体 2019.09.18 春秋社 p35

(5)伊藤亜紗 記憶する体 2019.09.18 春秋社 p268

(6)伊藤亜紗 記憶する体 2019.09.18 春秋社 p275

2021.03.09

 晴れ、少し肌寒い

 8時起床。昨晩作った肉じゃがを温めて、お米を炊き朝食をとる。部屋を片付け、猫のトイレを掃除して、燃えるゴミを出す。ドトールに行きヴァレリーの続きを読む。帰りに薬局で歯磨き粉と新しい歯ブラシを買い帰宅。洗濯機を回し、イシノマキアートはい!スクールの映像編集を進める。字幕を追加した。猫に餌をあげて、コンビニへコーヒーを買いに行く。夕飯は残りの肉じゃがを食べる。ノンアルコールビールを飲んだ。なんとなく「世界の車窓から」をAmazonプライムで流して、本を読む。お風呂を洗ってお湯を入れた。

 デザインは行為の可能性を限定していく。芸術は行為の可能性を拡げていく。ような気がする。

2021.03.08

 晴れ

 シン・エヴァンゲリオンを観るために、7時に起床。自転車でイオンシネマ に向かい、8時半からの上映を観る。とても良かった。感想は後日書く。鑑賞後スタバでシラスのエヴァ回を観る。しばらくしてからマックにより帰宅。部屋の掃除をして、食器を洗う。ともみさんと写真の仕事の価格帯を決めるオンラインミーティングをする。はるひが撮影で使った蟹を持って帰宅。コンビニでビールをかい夕飯を食べる。明日の朝に食べる肉じゃがを作り、風呂に入って就寝。

2021.03.07

 晴れ

 10時に起床。はるひの運転の練習もかねてドン・キホーテとイオンに行ってきた。どちらも物と人が多くて疲れる。イオンの中にあるマクドナルドでビックマックセットを注文して昼食。本屋で「地方を生きる」を買う。帰り際にドイツのビールを買って帰宅。編集中の動画の作業を進める。7割ほど終わる。音声の調整、字幕の追加、クレジットの追加で完成予定。風呂に入り、昨日の撮影でもらったローストビーフとビールで夕飯をすませる。明日は8時半からエヴァの映画を観る。

2021.03.06

晴れ

    7時半に起床。クロワッサンとコーヒーで朝食をとる。9時から商品の物撮りの仕事があった。通販サイトで販売される商品。コンビニで買ったチキンとコーヒーで昼食。4時半頃に撮影が終わり帰宅。映像の仕事の編集を進める。コンビニで納豆巻きとフランクフルトとノンアルコールビールを買い夕飯を食べる。

2021.03.05

 快晴

 8:30に起床。いつもより遅い。シャワーを浴びる。エヴァンゲリオンの初日のチケットを予約した。8日の8:30から上映。iroriへ行きヴァレリー芸術と身体の哲学の続きを読む。2時から前面貸し切りだったので、珈琲館へ移動する。はるひから電話があり鍵を忘れたと言われたので、帰宅して鍵を開けてあげる。洗濯機を回し、掃除をする。燃えるゴミを出し忘れたことに気がつく。来週の火曜日に出すことにする。百均にハンガーを買いに行き、ツタヤによって「〈ものまね〉の歴史」と「論理トレーニング101題」を買う。スーパーでビールと白角水割と白身のフライとカレーを買って帰宅。シラスでやっていた「コロナの現実とホラーの可能性、あるいは人形というメディア」を見ながら夕飯。


予期とは、過去を手がかりに未来に起こりうる出来事を想定することであり、現在を過去と未来という二つの方向に結びつける契機である。(1)

 

予期されたものと異なる出来事に出会うことは、世界と主体のあいだの「ずれ」に出会うことである。主体は、不意を打たれた直後、すぐにこのずれに適応することはできない。それは「遅れ」の感覚である。遅れにおいて、、主体は、迷い、混乱し、ためらう。(2)

 

意識されているか否かにかかわらず、覚醒している限り予期は常になされている。予期することは必ず、その出来事の生起に向けて身構えること、応答するための行為を身体的に準備することを伴っている。そしてこうした身構えが、私たちと外界の出会い方を大きく左右するのである。予期しだいでは、同じ出来事であったとしてもその価値はまったく別のものに変わってしまうだろう。ヴァレリーが重視するのは、出来事それ自体の価値ではない。あらかじめ予期によって状態づけられた私たちにとっての、その出来事の価値である。(3)


観念そのものの価値と、その刺激としての価値、つまりそれが出来事として私たちに及ぼす作用を、区別しなければならない。ある観念が刺激としてどれだけの価値を持つか、つまりその観念のまわりにどれだけの観念を形成するかは、そのつどの主体の側の条件によって変化する。(4)


 元々現代アートに興味があったわけではない。幼い頃身の回りに現代アートと言えるものは微塵もなかった。幼い頃の記憶は空き地と住宅の建設に結びついている。遊び場は住宅の建設をまつ空き地だった。今街に広がっている均質的で似たような建物が並ぶ風景は自分にとって故郷の風景に重なる。この均質的な風景をどう捉えていくのか。


「どういうこと?」と問われて「つまり」と応じ、具体的に説明しようとするなら「たとえば」と応じる。「それから?」と問われて「そして」と応じ、「どうして?」と問われて「なぜなら」と続ける。あるいは、相手が思っているのとは違う方向に話を転換させようと思ったならば「しかし」と切り出す。 

 

文章は、それがたとえモノローグの見かけを持っていようとも、基本的に対話の構造を持っている。議論を読み解くとは、なによりもまずこうした問いと応答の流れを読むこと、その対話の構造をつかむことである。そのリズムが送り手と受け手で共有されたとき、わかりやすい文章が生まれる。(5)

 


(1)伊藤亜紗 ヴァレリー 芸術と身体の哲学 2021.01.08 講談社学術文庫 p154

(2)伊藤亜紗 ヴァレリー 芸術と身体の哲学 2021.01.08 講談社学術文庫 p156

(3)伊藤亜紗 ヴァレリー 芸術と身体の哲学 2021.01.08 講談社学術文庫 p158 

(4)伊藤亜紗 ヴァレリー 芸術と身体の哲学 2021.01.08 講談社学術文庫 p159

(5)野矢茂樹 論理トレーニング101題 2001.05.15 産業図書 p9-10

2021.03.04

 快晴

 コンビニのシーチキンサラダを食べて朝食。本を読んで、お昼になったので、昨日買っておいた根菜カレーを食べる。なんとなく福尾匠のYoutubeに上がっている「作品と広告」という動画を見る。ともみさんに請求書を出して、洗濯機を回す。Amazonから注文していた本が届く。「見立ての手法」「グリッドシステム」「エクソフォニー」「空間へ」。あいのやとヨークベニマルに数日分の食料と猫の餌を買いに行く。肉じゃがのための食材を買って帰宅。洗濯物を干す。はるひがノンアルコールビールを買ってきてくれた。ここ数週間はアルコールをとっていない。1日が長く感じる。


作者の意図の代わりに、私の意図が入っているだけなんですよ。作者の意図を作品から取り除けるのであったら、私の意図っていうものもそこに持っていく必要はないはずで、意図(作者)と意図(私)のやりとりというレベルで考えている限りでは、広告的なものというのは脱することはできないと思うんですよね。ていうのは、人がどういう意図を持っているというのは、必ずなんらかのリスク計算や利益計算がなされているものなので、そこにはあらかじめ自分が求めているものしか見えないっていうことが起きちゃうわけですね。だからこそ、今日冒頭で言ったように作品の内実っていうものを見ずにすんじゃうわけですよ。(1)


タコは岩を見るとその岩に似るんですよ。だから、岩に隠れられるわけですよね。……人間は身体ごと変化するわけじゃないけど、何かを知覚する、何かを聞いたり見たりするっていうのは、部分的にそういうものを含んでいると思ってて、何かと本当に出会うっていうのは自分が変わっちゃうということなので、何かが作品としてそこで見られるってことと自分が変わること、もっと言えば消えちゃうことですね、隠れちゃうこと、人から見られなくなっちゃうこと、まさにタコが岩を見て岩に似るようにですね ……他の人から知覚されなくなるというのがどう言ったことかというと、さっき言ったような「あなた」と「私」とか、「我々」と「彼ら」とかっていう敵味方のロジックに拐取されない部分を作れるんじゃないかと思っています。(2)

 

それに対して作品っていうのがルアーじゃないとしたらなんなんだろうと思ったら、デコイ、おとりだと思っていて僕は、デコイっていうのは、私が消えるための装置なんですね、私が私じゃないものになるとか、私が人から見えなくなるとか...(3)


(1)(2)(3) 福尾匠 哲学対話 PARA SHIF「作品と広告」2020年2月22日

https://www.youtube.com/watch?v=e7XnCq2lwEw

2021.03.03

 晴れ、風が少し強い

 トーストとベーコンと目玉焼きを焼いて朝食。映像を編集するためにデータの整理をする。まず必要なフォルダを準備することから始める。やりやすいことから少しずつやっていかないと終わらない。まず手が動かせることから始める。コンビニへ行くために外に出る。ブルーインパルスがかなり低い位置を飛んで行った。カップヌードルとホットコーヒーのMサイズを買う。エヴァンゲリオンの予告を観ていたら宇多田ヒカルが聴きたくなり、spotifyでしばらく宇多田ヒカルを流していた。夕飯に半額になっていた、鶏肉と揚げ餃子の弁当といちごのサンドイッチと水を買う。


したがって、問に応答するゲームとしての詩作は、自己表現というより自身のプレイヤーとしての能力を試し鍛える「練習」のようなものである。もっとも、詩作を「練習」とみなすといっても、それはもちろんヴァレリーが自身の詩の質に関して無頓着であったということを意味するわけではない。上の引用にあるように「練習」として詩を作るとは「即興に抗う」ものでなければならず、一歩一歩、一語一語、語を置きつつそれを条件と照らしあわせるという、そのつどそのつどの判断が要求される作業である。(1)

 

みずからの行為を「練習」とみなすこと、つまり自分の書いた語を自分の実存と結びいた必然的な表現とみなさないことは、逆に偶然思いついた表現をあたかも自分の語であるかのように積極的に引き受けていくことにもつながる。偶然の語であったとしても、作詩をゲームととらえる以上、その語は自分の今後のゲームの展開を導く「問い」に他ならないからである。それはちょうど、カードゲームにおいて最初に配られたカードを自分のものとして引き受けるのと同様である。(2)



(1)伊藤亜紗「ヴァレリー 芸術と身体の哲学」p137-138

(2)伊藤亜紗「ヴァレリー 芸術と身体の哲学」p138

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