2021.05.11

 快晴

 6:30に目を覚ます。昨日は二日酔いで一日中気だるい感じだったかが今日はかなりましになった。そろそろ企画する展覧会のタイトルや文章を書き上げなくてはいけない。「分断」が当初テーマとして浮上していたが、「分断」という言葉の強さにあまり気持ちが乗らない。別にすべての作家が「分断」をテーマにしているわけではない。その言葉を使った瞬間にこぼれ落ちてしまうもののほうが、この言葉を使うことの必要性より大切な気がしている。だからもっとほかの言葉を探す。たとえば/(斜線)とか線をイメージさせる違う言葉へと言い換えていく。だが/(斜線)もいまいちピンときていない。確かにこの街にはたくさんの分断がある。震災 / 復興、過去 / 未来、生 / 死、人 / 自然、記憶 / 忘却、私的 / 公的、地元/よそ者。あらゆる場所に/が引かれている。しかし、ひとは生まれた時から/を別々に持ち運びながら生きている。他者に近づき別のあり方を目撃することは、別の可能性を目撃することなのではないか。ならば差異があること自体が悪いことではない。それはショックでもある。今は不意に誰かと出会うことを避ける時代になった。アクシデントを避ける時代。街は無臭化していく。海から漂う磯の匂いは、隔てられた海との距離を不意に記憶の中で近づける。橘(たちばな)やいつの野中のほととぎす」。宮地尚子は「トラウマに触れる」で嗅覚はトラウマを引き起こすトリガーになりやすいと言っていた。味覚は対象を取り込み境界線を曖昧にさせる。距離を狂わせ、輪郭を曖昧にさせる嗅覚と味覚。口と鼻を隠し続ける人々。

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