2021.05.27

 雨

 8:00に起床。彼女が先に事務所へ出社する。昨日の夕飯で作ったホヤの炊き込みご飯を食べる。12:00過ぎに彼女が迎えに来て自分も事務所へ向かう。事務所は港に近く、雨の日は磯の匂いがする。今日は物撮りの予定なので、撮影の準備をする。商品が届いて撮影を済ませる。帰宅してお昼ご飯を食べる。

2021.05.24

 晴れ

 文体は無ければ無い方がいいと思っている。というか、文体とあえて呼ぶべきものがあるとすれば、それは自分の文章に出てしまっている凝りのようなものを引いて引いた先に残ってしまうものだと思う。(1)

「少し重たい風に吹かれながら喫茶店に向かった」という文より「少し重たい風が吹いていた」と書いて次の文ではもう喫茶店にいる方がずっといい。風に吹かれながら歩いている自分を書くのではなく、風を書いたら歩くことが自動的に出てくるような書き方が理想だ。 (2)

とても共感する。「少し重たい風が吹いていた」 と書かれた小説のほうがきっと読んでいて心地がいい。それは想像しただけわかる。


(1)(2)http://tfukuo.com/2021/05/24/210523/

2021.05.23

 曇り

 8:30に目が覚める。歯を磨いてファミマにパンとコーヒーを買いに行く。昨日企画展のテキストが書きあがった。平野君とちばさんとミシオ君には見てもらった。みんなこれで問題ないと言っていた。企画展はやったことがないので不安が大きい。

2021.05.20

晴れ 

 7:00に目が覚める。歯を磨いて洗濯機を回す。ファミマで朝食を買い8:30に事務所に向かう。今日は10:00から食品の物撮りがあったので、その準備と撮影をした。雲丹の撮影だった。雲丹は個体差で味の複雑さが微妙に違い発見だった。基本的にはウニの主食である海藻の香りがひろがる。帰宅後、洗濯物を干す。1回ですべて洗濯できなかったので、もう一度洗濯機を回して、その間に部屋の掃除をする。8月頃を予定している企画展は「手つかずの庭」というタイトルになりそうな気がしている。手の行き届いた庭がキュレーションされた庭だとするなら、手つかずの庭はキュレーションによって結ばれた像が解かれ雑然とした形になっている状態。それをいかに肯定できるだろうか。

2021.05.17

 曇り

 8:30に起床。企画書について考える。どんな企画を考えたいのかではなくもっと具体的なことを考えないといけないのではないか。そのなかで、遡行的に企画がまとまってきそうな気がしてはいる。キューレーションは星空のなかから特定の星を選び、線で結びひとつの星座(像)を作ることだと思う。しかし、この街で作られてきた像がすでに多くある。震災をめぐる像、復興、分断、自然、環境問題、当事者性、未来への希望。そういった像は10年の時の流れの中で硬直化しいる。この街で何かをやる以上その像に還元されることを免れることはなかなか難しい。だからこそ、別の像を描くことで連結項を発明しなければいけない。じゃあどんな連結項を発明するのか。目の前にあることほど気が付くことができないのだとしたら、いま何に気が付くことができないのか。今何が目の前にあるのか。展覧会はおそらくキワマリ荘、ADC、THE ROOMERS' GARDENを会場に行われる。キワマリ荘は俺の作品、ちばふみ枝さんの写真作品、SoftRibのニップニップ日記の映像作品、富松さんの流木の彫刻(まだここが不確定)になると思う。ADCはキラギロ、大槌さん、後藤さん、金澤さん、有馬さん、守さんになるのだろう。THE ROOMERS' GARDENは平野君は自分の作品を出すとして、他に誰を呼ぶかは不確定。このメンバーでどんな展覧会を作りたいのか。ここで何を見せたいのか。別々の環境があることが多様性を生む。環境が統一化されている時代。ごつごつしていて、ごろっとしたまま散らばっている。散らばった石。道端に唐突に置かれた花壇の中で育つ統一感のない草花。ごろっとしているな。忘れられた庭。庭という言葉が便利すぎる気がしている。何かを語った気分になってしまう。手垢がついている。

2021.05.14

晴れ、時々曇り

 今日は気温が少し高く、薄手のワイシャツでも少しだけ汗ばむ一日だった。朝8時に目覚めて、そのままシャワーを浴びた。彼女は事務所に向かい、僕は映像作品の起動やそれぞれのスペースの掃除をしにギャラリーへ自転車で向かう。看板を歩道沿いに出す。窓を開けて、入り口をほうきで掃く。なかの床を掃除する。暖かくなってきて窓を開け放しておくと虫が飛んで入ってくるようになってきてしまった。網戸をどうにかしてつけないといけない。風通しのいい空間だから、何も遮るものがない窓から風が流れ込んでくるのはとても気持ちがいい。店番をしている子にあとは任せて一旦家へ帰宅。ドトールへ行きアイスコーヒーLを飲む。展覧会の企画に行き詰っているから考えを進めようとしたがなかなか進まない...。

2021.05.13

 晴れ

 いつもより遅めの起床。ファミリーマートで彼女がスパイシーチキンとバンズとコーヒーを買ってきてくれる。昨日から有馬さんにお願いされたDVDのデータをMP4へ変換する作業をやっている。有馬さんが1990年代に撮影した映像。自分が運営しているギャラリーとそこへ集まる人々との日常。多分VHSとかで撮られている。わけのわからないことをやっているが、それが楽しそうだった。庭になっている柑橘系の果物を汚れた手で皮をむき、「いい匂いだよ!」「食べれるのかわからない!」と言いながらその場で食べている。木の周りにはなぜか畳が3枚投げ捨てられていて水分を吸いとって湿っている。今の自分の身の回りの出来事を映像で残しておくこと、それもSNSにあげるようなものではない、そんな映像を撮影しておくのはいいかもしれないと少し思えた。尺は短くない、Vlogみたいに過度な編集もない、映えるようなものをあえて撮ったようなものでもない、ただあほらしいことを撮る。何のために撮っているかわからないようなものを残す。それを20年後に見返してみたい。そう思えた。

2021.05.12

晴れ

 この間大槌さんと根本さんたちと久々にお酒を飲んだ。松ばるに行って刺身やあおさとホヤの天ぷらを食べたがとても美味しかった。ホヤは臭みも嫌な苦みもなくなっていて食べやすかった。 そのあとはキワマリ荘の隣にある平屋でコンビニで買ったお酒を飲んだ。大槌さんがキュレーターではなくプランナーと言っていて(多分そう言っていた)自分はなんとなくそれがいいなと思った。キュレーターが良いキュレーションをすればするほど結ばれる像が強くなり他の像を描きずらくなる。それがいいことなのかどうか。おそらく良さと悪さの両面。どちらをとるか。Curationは「特定の視点を持って収集、選別、編集することで新しい価値を持たせ、それを共有することを意味する言葉」という意味らしい。プランナーは「企画係。立案者。設計者。」という意味。「収集、選別、編集」と「企画、立案、設計」の違い。設計者がいい気がするな。家を建てるような感じ。でもどうだろう。それはキュレーションと違うのだろうか。命題は現実の像、現実の模型。自分は言語の人間なのかなと最近思う。人が制作したものに初めて感動したのはアンドレ・ジッドの「狭き門」を読んでいるときに、物語の内容というよりは言葉のリズムによって、読んでいるのかどうなのかわからなくなり、最終的に目の前が白く光った。高校生の頃Java言語を勉強していた延長線上でProseccingをつかってプログラミング言語からイメージを作り出す遊びをしていたことが自分が制作を始めるきっかになっている。

2021.05.11

 快晴

 6:30に目を覚ます。昨日は二日酔いで一日中気だるい感じだったかが今日はかなりましになった。そろそろ企画する展覧会のタイトルや文章を書き上げなくてはいけない。「分断」が当初テーマとして浮上していたが、「分断」という言葉の強さにあまり気持ちが乗らない。別にすべての作家が「分断」をテーマにしているわけではない。その言葉を使った瞬間にこぼれ落ちてしまうもののほうが、この言葉を使うことの必要性より大切な気がしている。だからもっとほかの言葉を探す。たとえば/(斜線)とか線をイメージさせる違う言葉へと言い換えていく。だが/(斜線)もいまいちピンときていない。確かにこの街にはたくさんの分断がある。震災 / 復興、過去 / 未来、生 / 死、人 / 自然、記憶 / 忘却、私的 / 公的、地元/よそ者。あらゆる場所に/が引かれている。しかし、ひとは生まれた時から/を別々に持ち運びながら生きている。他者に近づき別のあり方を目撃することは、別の可能性を目撃することなのではないか。ならば差異があること自体が悪いことではない。それはショックでもある。今は不意に誰かと出会うことを避ける時代になった。アクシデントを避ける時代。街は無臭化していく。海から漂う磯の匂いは、隔てられた海との距離を不意に記憶の中で近づける。橘(たちばな)やいつの野中のほととぎす」。宮地尚子は「トラウマに触れる」で嗅覚はトラウマを引き起こすトリガーになりやすいと言っていた。味覚は対象を取り込み境界線を曖昧にさせる。距離を狂わせ、輪郭を曖昧にさせる嗅覚と味覚。口と鼻を隠し続ける人々。

2021.05.06

 快晴

 朝七時に起きて病院へ向かう。指の骨折を治すために刺していた針金を三本抜いた。部分麻酔はすでに何回か経験していたが今日のが一番痛かった気がする。麻酔が効き始めると指が太く感じる。多分触っても、触られている側の指が何も感じないせいでサイズ感が分からなくなっている。手術室を出て着替えを済ませ会計をしてバスで帰宅した。家に着くと猫が足元で餌と水をくれと言ってくる。普段はシーバをあげているが、売っていなくて代わりに銀のスプーンをあげている。味が気に入らないらしい。いい天気だからどこかへ行きたい気もするけど面倒になってコンビニでカップ焼きそばとノンアルのビールを買う。術後でアルコールが飲めないのでノンアルで我慢する。久々に指が曲がったので逆に違和感を覚えて気持ちが悪かった。

2021.05.04

晴れ 

 1日中暖かい風が吹いていたので窓を開けっぱなしにしていた。朝は6時に起きたが猫と二度寝をしていたら11時になっていた。今日は何もしなくていいかなと思い家にこもっていた。午後に起きて洗濯機を回した。少しめんどくさくて干すまでに時間がかかった。夕方にコンビニへ行ってビールを買って涼みながら飲む。こんな日があってもいいなと思う。

2021.05.03

晴れ、風が強い

 風の中に少し生暖かさが混ざっている。平野君が今日からオープンしたギャラリーへ行った。いつもの顔なじみがたむろしてスペースや作品について語っている。風が強いせいか古い建物のどこからか隙間風が吹いてくる。誰かから息を吹きかけられたようで一瞬ドキリとする。

 住んでいる街は復興予算をつかいながら新しい道と建物を作り続け、風景を変えている。復興は未来へと向かい進んでいくが、思い出は過去に取り残されている。街を歩いているとそんな過去と未来へ引き裂かれるよな感覚を覚える。

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