2021.02.28

快晴、雲ひとつない

 肉まんとチョコレートクロワッサンを食べて朝食。多和田葉子の献灯使を読んで、13時すぎにiroriへ行きコーヒーを飲む。その後、石巻のキワマリ荘に行きミシオくんと今川くるみさんに会う。しばらくして駒嶺さんと渋谷さんと共にART DRAG CENTERへ行き有馬さんと平野くんに会う。駒嶺さんは有馬さんに、アートロンについての文章がわからないと言っていた。有馬さんは、かなり頑張って書いた文章がわからないのなら、伝わらないかもしれないと言っていた。駒嶺さんは、流行りの単語や概念を表面的に掬い取って扱うのが嫌らしい。(有馬さんのことではなく)皆が同じような内容の文章になっている気がすると言っていた。それが嫌なら自分で違う文章を書けばいいんじゃないかと有馬さんに言われていた。その後、時間になったのでキワマリ荘に戻り、ミシオくん、平野くん、守さん(兄弟)と少し話てから帰路に着く。はるひに頼まれていたシメジとエノキと水をスーパーで買い帰宅。Amazonで注文していたクレヨンと伊藤亜紗の「ヴァレリー 芸術と身体の哲学」が届いていた。今日はとても月が大きかった。

2021.02.27

 晴れ、風が少し強め

 ファミリーマートでマーラーカオとガーリックトーストとモカブレンドを買って朝食。部屋の片付けをして掃除機をかける。はるひが長期レンタカーの契約へ行ったついでにケーキを買ってきてくれたので、お昼に食べた。風が強く寒い日が続いていたが、少し気温が上がってきた気がする。洗濯物をほすにはちょうどいい天気。ドトールへ行って時間を潰す。最近連日行っている。夕飯は近所の焼肉屋に行った。自分の胃袋を過信してしまい、90分食べ放題を選んでしまった。最終的にあまり食べれず失敗。今度からは単品にしようと昔も思ったことがあるような気がする。


 僕が住んでいた場所、つまり実家のある場所は、高台の上に作られた住宅地で周りには田んぼしかなかった。今では住宅に紛れ込む形で、レストランやカフェのようなものができている。最近はセブイレブンもできていた。だけど、僕が小さかった頃は、住宅の建設を待つ空き地ばかりで本当に何もない場所だったと思う。


 段違いになった空き地に行くと観る事ができる土の積層が、唯一時間の積み重なりを感じさせた。層ごとに色の違う土を別々に掘り起こしてよく遊んでいた。


 住宅地にするためにできたような場所なので、その土地には文化的な要素も掘り起こせる歴史もなかった。そんな非歴史的な土地で生活したこどが、場や風景を考えて制作をしていることに影響を与えているのかもしれない。(写真は関係ない)



 全く関係ない話だが、大学3回生のころ香港で開催されたアートバーゼルに行ったことがある。非常勤で来ていた先生が出展するので観に行った。目的だったライブパフォーマンスを観る事ができて満足ではあったのだが、展示空間を観てまわりながら自分はここを目指さなくていいなと感じたことも今に影響している。

2021.02.26

曇り

 朝ごはんはトーストだった。志村さんに提出する請求書を作ってコンビニでスキャンして送信。はるひがお昼ご飯とコーヒーを買ってきてくれたので昼食。午後はドトールで伊藤亜紗の手の倫理を少し読んだ。アメリカンコーヒーとアイス抹茶ラテとジャーマンドックを注文した。帰りにスーパーでとんかつ弁当と割引の苺とノンアルコールビールを買った。


 まっさらな土地に何か造られていて、過去も現在もなくて。未来のことは語っているんだけれど、その未来の話も手ごたえがなくて、伝承って何だろうと思いました。(1)

 

 先日、塩竈市杉村惇美術館でやっている、かんのさゆりと菊池聡太朗の「風景の練習」という展示を観てきた。文章は五十嵐太郎を加えて行われたクロストークの記録を読んでいて目にとまったもの。「その未来の話も手ごたえがなくて」というところが身に染みた。

 伝統を引き受けることは常に今あるものを再定義していくことで、訂正可能性に開かれていなければ伝統を引き継ぐことはできない。これは東浩紀がシラスの放送で言っていたこと。(うる覚えで書いてる。)対象が訂正可能であることを忘れるとナショナリズムや排外主義に陥る。

 中谷礼仁の「セヴェラルネス+: 事物連鎖と都市・建築・人間」という本では先行形態という概念が紹介されている。街の中に突然現れるカーブが、同じ場所に元々あった前方後円墳のガーブに沿って作られている。つまり、人々は先行して存在していた形態に影響を受けながら街を作っているということになる。それは、無意識的な歴史の参照でもある。そこから、広島原爆投下のような先行する形態が何もない焼け野原になったとき、人々はどうやって街を再建するのかという問いに向かっていく。この本は広島について触れているが、必然的に津波の被害で更地になった被災地はどうなのかという疑問が生まれる。(この本はとても面白いのでおすすめ)

 石巻の街は常に更新され続けていて、数ヶ月単位で新しい建築物が立ち現れている。しかし、そこにはその場が持っている歴史への再定義がないし、はたして広島のような先行形態からの豊な影響、無意識的に受け継がれている歴史のようなものがあるのだろうか。

 過去も現在もない街に石巻はなっていくのか、未来の話にどうやって手応えを覚えていけばいいのか...






(1)かんの さゆり「風景の練習 「Practicing Landscape」クロストーク 」塩竈市杉村惇美術館

2021.02.25

晴れ 

 朝食はフランスパンをトーストしてマスカルポーネとメープルを塗ったものと、ベーコンを焼いたものを食べた。コーヒーを飲んで14時ぐらいまでは何もせず、ぼーっとしていた。洗濯物を干して、食器を洗う。出さなければいけない請求書の整理をして、仕事で制作した映像をまとめた。夕飯にコンビニでビビンバ丼とノンアルコールビールを買った。市川浩の〈身〉の構造 を読んでいる。

2021.02.24

晴れ、風がとても強い 

 今日は風がだいぶ強く、撮影のために飛ばしたドローンが通信不能なところまで流されるのではないかとヒヤヒヤした。寒さで悴んだ手でコントローラーを操るのも大変だった。4月から個展がある。その準備をしているせいか、移動時間は展示や制作のことを考えていた。仕事終わりにスーパーに寄って割引の寿司とノンアルコールビールを買って家に帰宅。


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