2021.05.12

晴れ

 この間大槌さんと根本さんたちと久々にお酒を飲んだ。松ばるに行って刺身やあおさとホヤの天ぷらを食べたがとても美味しかった。ホヤは臭みも嫌な苦みもなくなっていて食べやすかった。 そのあとはキワマリ荘の隣にある平屋でコンビニで買ったお酒を飲んだ。大槌さんがキュレーターではなくプランナーと言っていて(多分そう言っていた)自分はなんとなくそれがいいなと思った。キュレーターが良いキュレーションをすればするほど結ばれる像が強くなり他の像を描きずらくなる。それがいいことなのかどうか。おそらく良さと悪さの両面。どちらをとるか。Curationは「特定の視点を持って収集、選別、編集することで新しい価値を持たせ、それを共有することを意味する言葉」という意味らしい。プランナーは「企画係。立案者。設計者。」という意味。「収集、選別、編集」と「企画、立案、設計」の違い。設計者がいい気がするな。家を建てるような感じ。でもどうだろう。それはキュレーションと違うのだろうか。命題は現実の像、現実の模型。自分は言語の人間なのかなと最近思う。人が制作したものに初めて感動したのはアンドレ・ジッドの「狭き門」を読んでいるときに、物語の内容というよりは言葉のリズムによって、読んでいるのかどうなのかわからなくなり、最終的に目の前が白く光った。高校生の頃Java言語を勉強していた延長線上でProseccingをつかってプログラミング言語からイメージを作り出す遊びをしていたことが自分が制作を始めるきっかになっている。

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